ウェス・アンダーソン監督のストップモーションアニメーション映画で、2018年公開。公開当時行こうか迷い、上映映画館の少なさから結局行かず仕舞いでしたが、行けばよかったとめちゃくちゃ公開してます。
すごく良かったです。
ストップモーション動画とは、人形や小道具をすこしずつ移動して撮影した静止画を連続させて、アニメーションさせて撮影する動画手法で、時間と手間暇が非常に必要な撮影技法です。自分はこの技法の撮影方法がとても好きです。
ただ、近年のストップモーション動画は、コンピュータを使用した安直な合成が目につき、ストップモーション動画ならではのアナログな温かみある質感が感じられない作品が多く、例えば、爆発や電撃なんかのエフェクトが、解像度の高いアニメーションを合成するシーンなど、その点は興ざめでした。
犬ヶ島では、もちろんコンピュータを利用しているでしょうが、全編に渡って違和感ある合成シーンがなく、トーンが馴染んでいます。爆発や煙などのシーンも、綿などをつかってしっかりと実物そのもので表現されています。
近年観たストップモーション動画で一番良かったです。
舞台は、架空の時代の日本(確信犯的な海外の間違った想像の日本という感じです)。犬嫌いの小林市長による犬抹殺計画によって、ゴミ島に隔離されてしまう犬たち、自分の護衛犬であったスポットを救い出さんと単身、島へと乗り込む市長の息子アタリ少年の物語です。奇病ドック病に冒される犬たち、市長再選の選挙活動の裏に潜む陰謀。日本への誤解とブラックユーモアたっぷりに語られるSFコメディ作品です。
さて、本作品は全世界で6,400万ドル以上の興行収入を記録し、批評家からはアニメーション、ストーリー、デッドパン・ユーモアが評価され、高い評価を得ている一方で、一部批評家からはこの映画で描かれている日本に対して、「ステレオタイプである」、「ホワイト・ウォッシング」(犬を救おうと立ち上がるキャラクターが、交換留学生の女の子)、「日本への配慮が不足している」(原爆を想起させるキノコ雲が上がるシーンが存在する)、「英語至上主義」(日本犬が英語をしゃべる)などとして批判したそうです。
誰がこんなこと言ってるのかわかりませんが、自分はそんなふうには思わなかったな……。
日本人は全員悪い奴とは思わなかったし、批判的要素(大勢の意見にノーとは言っても行動に移さず従順になってしまうところ)も結構真に迫ってました。
原爆を想起させるキノコ雲が上がるシーンが存在するのも、そういうシーンが検閲されて、なくす方向になるほうが記録の抹消を狙っているように感じて嫌におもいました。
これ言ってる人は、自分の正しさを表明したいだけに感じます。大きなお世話。
最近、ゲームにおいて、ポリコレコンサルティングの会社が炎上しています。
その会社は、多様性と包括性を先導する立場にあるのに、その主張は歪で、異性愛の白人男性蔑視という差別意識が強くかんじます。
詳しくはここに書いた。
また、その続きとして、この会社に所属するスタッフの一人が、最近亡くなった鳥山明のデザインしたキャラクターMr.ポポを「黒人のステレオタイプな最悪の差別的表現」 として批判していました。
この手のアイコン的な黒人表現は、昔から差別表現としてやり玉にあがりますが、個人的にはうーん?? という感じです。
たとえば、ノッポとチビという言葉があります。
どっちが攻撃的に感じるか、というと男性的にはチビで、女性的にはノッポと思います。
性差によって変わるのは、それがコンプレックスの対象だからでしょう。僕は誰であれ使わないけど、一般的な価値観に引きずられているということです。本来の多様性と包括性なら、性差が変われど、どちらも個人の特徴の一つであり良いも悪いもありません。それは差別表現にはならないはずです。ちなみに僕は大きな女性が大好きです(聞いてない)。
この点を踏まえて、黒人のステレオタイプな表現が差別的表現とするなら、その背景には黒人の特徴が一般的な価値観において劣っているとみられているということを、認めてしまっていることになってしまいます。僕は美しいと思うけどね……。
黒人のイメージを向上させる本として図書館の推薦図書だったちびくろサンボは、かつて差別的表現として絶版になっていたも再販されました。
このように、ステレオタイプ表現も一部見直されていくと思うけどな。
そもそも物語の内容を批判するのはいいけど、検閲するのはどうかと思います。
犬ヶ島では、寿司職人さんとわさび農家さんは怒ってもいいかもしれません。
犬ヶ島の話に戻すと、今回の表現は日本のカオス感を表現していると言えます。
なによりここまで手の込んだ映画をつくるにあたって、日本への想いが貶みだけってのは腑に落ちません。
アステロイドシティを観てから、この映画を見ると、作風やモチーフは結構似てるように感じました。
チャプター方式なのはもちろんのこと、人間世界と犬世界という二重構造。
たくさんの犬が登場しますが、その飼主と両者は呼応して鏡写しの存在です。
スポッツ、チーフのマスターであるアタリの二面性、アタリが孤児であることは、犬の来歴と同じ。小汚いチーフにどうしてショードッグのナツメグが惹かれるのか。それは飼い主の関係からも読み取れます。脚本がめちゃくちゃ凝ってますね。
海外通訳シーンから読み取れるのは、相互理解の大切さ、大変さのメッセージと感じます。そもそも犬と人間の2つの世界の話であるわけですし。ゴミ島への隔離シーンは、ナチスの隔離政策そのものです。
僕は日本語版を見ましたが、犬たちが英語を話すのも、異文化コミュニケーションの表現の一つなのでしょう。
自分には最後まで読みきれない部分もありましたが、その点もこの作品の大きな魅力になっていると感じました。
トップ画像のトリミングなし・フィルタなしバージョン。AndroidのKeepメモで描きました。