この映画を知って「見たいなー」と思っていたのですが、地元の映画館で公開されると知らなくて、気がついた時には、上映終了間近でした。最終日に夜勤明けで映画館に駆け込みましたが、これでつまらなかったら眠ってしまうだろうな……と思いました。
感想は、良かったです。思うところありますが、執念すら感じる素晴らしいアニメーションでした。日本をモチーフにしているのも嬉しかったです。
以下ネタバレ含む感想となります。
主人公の名前のクボは「ぼく」の逆読みでしょうか?
肉親に身体の一部を奪われる出生は、手塚治虫の「どろろ」を想起しますね。
動物をお供にするのは桃太郎を彷彿とします。
伏線の張り方が素晴らしかったです。
村の祭りで父親の霊が出なかった理由。
タイトルの二本の弦の秘密は最後の最後に明かされて、思わず身震いしてしまいました。
3つの武器の最後が自分が住んでいた村にあるという、実はスタート地点がゴールだったという流れも良かったし、「生き残るには伝説の武具3つを集めなさい」と言われたのに、集めてもあまり役にたたず、生まれ持った能力と旅の中での経験による成長や絆で、ラスボスを倒すというのも東洋的で良かったと思います。
物語に出てくるアイコンにも意味が隠されていそうです。
背中の紋章とクワガタの登場で、彼の正体やサルの正体を匂わせます。
舞台に出てくる刀の折れた像は、敗れたハンゾウを連想させ、仏のような像は見守る母をイメージしたのでしょうか?
僕はストップモーションアニメという技法が結構好きです。
「ウォレスとグルミット」や「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」などに夢中になりました。
映像の一コマ一コマを、パペットを微妙に動かして撮影して動画にするという非常に手間のかかる技法。
今回の映画では、主要キャラクターのクボだけで24体のパペットを使い分け、表情のパーツは約8000以上を取って付け替えして撮影しているそうです。
「まばたき一つしてはならない」と繰り返し劇中のセリフとして登場しますが、これは製作者の想いに他ならない。
非常に滑らかなアニメーションは、まばたきの一回に逃した部分で、どれほどの労力が重ねられていることか……。
でも、あえて……あえて傲慢にも言うなれば。
それって「がんばったで賞」なんですよね。
こと芸術において、僕は頑張りをまったく評価しません。
僕がストップモーションアニメが好きなのは、ストップモーションアニメならではの、動きのゆらぎや、実物(パペットやジオラマ)を使った奥行き感なんです。
KUBOは、スタッフが執念を感じるほど作り込み過ぎたせいで、アニメーションが滑らかすぎて、皮肉なことにストップモーションアニメの良さが減じられた気がします。また、要所要所に合成やCG加工をしてしまっているせいで、生粋のストップモーションアニメにある奥行き感もないように感じました。
KUBOにおける「ストップモーションアニメ」というのは、実写映画における「CGなしの本物のスタントシーン!」と言うのと同じ。言われなきゃわからない。別にこれって 全部CGでできるんじゃない? と言う感想。
よくCGと本物のスタントシーンは違う、と言います。僕にはそれは、スタントシーンを生業とする人の幻想だと思ってます。本当に違うのなら、わざわざ言う必要はない。喧騒して「あ、これ本当に役者がやってるんだ、すげー!」って説明しなきゃ凄さが伝わらないものが凄いとは思わない。写真を横に並べて、鉛筆一本で同じものを描く人と同じように、「やらなくても良い苦労してますね」という感想を抱いてしまう……。仮にCGと本当のスタントシーンで役者の演技の質が変わるなら、役者のレベルが低いってことでしょ。迫真の演技ってそういう事じゃないかなぁ。
カメラの登場が肖像画家の職を奪ったように、いつかストップモーションアニメも淘汰されゆく技術なのかもしれません。KUBOは「そうじゃない!」と言いたくて、持てる全てをつぎ込んだ、素晴らしい作品にしたかったのかもしれません。しかし、結果として出来たものが、別の方法でもっと簡単にできるとしたら、労力の意味がないと個人的に思うのです。