最高に愛おしい、不出来な映画。
確かに……これは評価の難しい映画ですね。
大衆受けよりもマニア受けにシフトした作品に感じました。もっと言うと、作り手が自分と同好の士のために作った同人作品を見ているように思いました。
特撮マニア用の小ネタ、詰め込みすぎなシナリオ、アニメのような寒いセリフ、クオリティの低いCG、スケール感のなさ。
超大作映画としてシンウルトラマンを評価すると、辛いレビューになりそうですが、個人的に特撮映画としてではなく、邦画として革命的な作品と感じました。
まず、自分が感銘を受けたのは画作りです。シン・ウルトラマンや禍威獣、外星人は元より、爆発や光線、破壊される背景など、ハリウッド映画の現実と遜色のないフォトリアルなものと比べると、マジで褒めようのない糞みないな貧弱なクオリティです(ひどい言い方ですが、あのCGのクオリティでハリウッド超大作やったら、糞としか言いようがない)。
シンウルトラマンでは、CGの技術力の差ではなく、昔ながらの特撮映画の味として表現しています。この部分が、めちゃくちゃ賢いです。アニメ原作実写映画のシュールさって、低クオリティのCGを、まるでハリウッド映画のような感じで使っているせいなんでしょうね。
シンウルトラマンの世界は、作り物の世界だと最初から認めることで、違和感にモゾモゾすることなく、物語に没入することができます。
大量のキャストによる群像劇のようなシン・ゴジラと対象的に、シンウルトラマンは、禍特隊メンバーに焦点を当てたストーリーで、メンバーの誰もがキャラが立っていて、面白いです。ちょっとアニメキャラクターのようなキャラ付けやセリフが目立ちましたが、演出や画作りと相性が合っていました。撮影にiPhoneなんかも利用されているらしく、細かい面白いアングルのカット割りが多用されていて、会話パートがダラダラ続いてもテンポも良いし、飽きさせないです。
全体を通して目立っていたのは、ウルトラマン含む地球外生命体の異質さと不気味さです。
ウルトラマンは、ジュワ! と言わず、終始無言で恐ろしいです。人間にどうやら味方っぽいということで、まさしく神のように扱われます。意思疎通ができず、一方的に恩恵をもたらす存在って、悪人よりも怖い存在かもしれません。
カラータイマーがなくなり、活動限界がなくなるのかな、と思っていたんですが、体の赤い模様で結局カラータイマーと同じことをやってて、カラータイマー無くす意味ないじゃん、って最初は不満でした。ウルトラマンのピンチを視覚的に表現できつつ、デザイナーの意志を尊重できることを示したかったのかもしれません。しかも色のグラデーションで視覚的に活動限界を示せる点で、こっちのほうが優れているとすら感じました。当時はカラーテレビが普及していなかった事情もあったし、カラータイマーが正解だったかもしれませんが。
シンウルトラマンは、一本の映画のシナリオとしては、状況が目まぐるしく展開し、セリフも多いので、ここをもっと詳しく描いて欲しい、っていう不満は当然でてきますが、あえて描かないことで、考察や想像による補完が楽しい映画でした。
たとえば、ウルトラマンと融合した神代のキャラクターが不明瞭です。子供を救って、生き返ったら全部解決していた、という状況ですからね。内面世界でウルトラマンと神代が語り合うというシーンもあればよかったかもしれません。反面、その御蔭で、ウルトラマンが何を考えているのかわかりにくい不気味さは強調できていました。俳優の演技はその不気味さをうまく表現できていましたが、俳優として、主人公としては、他の禍特隊に比べると埋もれていた印象が拭えませんね。
外星人たちの会話シーンは、緊張感と意外性にあふれていて、本当にユニークで面白かったです。人間が想像する利害とは離れたところで思考していて、未知との遭遇感が満載。人類なんてとるに足らない弱い生き物と思っていたら、生物兵器転用が可能で資源だなんて、びっくり仰天でした。メフィラスが自分に利がないと悟るやいなや、勝利目前でバトル中断するなんて、めちゃくちゃおもしろい展開でしたね。
自分が一番、これは新しいと感じたのは、地球最後の日の描き方でした。
ゼットンによる地球滅亡が確定しているのに、政府はそれを完全に秘匿します。
当然、民間ではパニックがおきずに、いつもと変わらない日常が続きます。こんなに穏やかな地球最後の日が描かれることって無かったのではないでしょうか。逆に、こんな日常が終わってしまうという絶望感が漂いました。メタ的に考えれば、予算的にパニックシーンを描く余裕が無かったんでしょう。でも、特撮映画の創意工夫ってそういうところなんですよね。限られた予算の中で、怪獣のキグルミを解体して作り直してやり繰りして(頭部がアタッチメントのように……)。ひとつの作品として鑑賞すると、どこかしょぼいな、ダサいな、って部分が散見されるんですが、特撮映画のこれまでの歴史、ファンの想い、今の邦画の現状なんかを全部受け止めて鑑賞すると、目頭が熱くなってきて感動してしまいました。
ラスト、人類は自分たちの文明レベルと進んだ文明との落差に絶望して、ウルトラマンにすべてを託してしまいます。これはアベンジャーズを含めヒーロー映画の宿題とも言るテーマと思います。面倒事はすべてヒーローにまかせて、か弱き自分たちは楽をする。税金は金持ちが全部払って、自分たちが金持ちになるため努力しない、弱者でいるほうが得をする。クズのような思考とそれを許容している不条理な現実です。誰か一人に責任を押し付けるくせに、一人が得するよりも全員が不幸の方が良いとする考えです。
結果的にウルトラマンだけの力ではゼットンを撃退できません。人類は、ゼットンを別空間へと封じる数式を導きだしたのですが、しかし実行するのはウルトラマンです。犠牲になるのもウルトラマンでした。
テーマを明確にするために、この流れはちょっと不満でした。最初のゼットンのバトルでウルトラマンは死んで、託されたUSBメモリを元に、人間だけの力で(それこそ神代が人間として蘇り、ベータカプセルを積んだ宇宙船のようなもので突撃して、平行宇宙で別のウルトラマンになるとか)、地球を救うという展開のほうが良かったように思いました。もしかすると、次回作などが予定されていて、こういう流れなのかもしれません。特に後日談などなく、さらっと終わるのは潔くて良かったです。
巨大化した長澤まさみさんを見て、劇場の気持ちが一つになった瞬間を、僕は一生忘れないでしょう。
ーーーーーぱ、ぱんつ見える!?