smogbom

蒐集/レビュー/散財。アートトイ,ThreeA,ソフビ,民藝。ウルトラライトハイキング。Giant MR4r。Apple,Mac,iPhone。

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島の感想-京都旅補完記事

京都で機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島を見てきました。

機動戦士ガンダムオリジナルTVシリーズ15話の同名エピソードをリメイクした作品です。

自分はこのエピソードを見たことがあるのか記憶が定かではない程度の、にわかファンです。

このエピソードは、いわゆる作画崩壊で有名な一方、物語においてはファンから神回と称されるほど評価の高いものです。今回の映画で監督をして、TVシリーズでキャラクターデザイン及び原画等を担当した安彦良和さんは、この回ではキャラクターデザイン以外では関わっておらず、「捨て回」と評しているが、同時に「いい話」とも認めているそうです。自身のコミック版であるオリジンでも、このエピソードは省かれており、映画として世にだすことが、自身が関わるガンダム最後の心残りだったようです。

さて、総評としては「あれ? 俺ってこんなにガンダム好きだったけ?」 と思わずにいられないほど、心打ち抜かれてしまいました。若干中だるみの部分もありましたが、戦争という極限状態に翻弄される若者アムロの心情を丁寧に描いて、少しノスタルジーを感じるコテコテの演出も良かったです。自分がガンダム映画に期待していたものをちゃんと見せてくれて、非常に満足の映画でした。

以下ネタバレあり。

自分が機動戦士ガンダムにおいて、一番ネックに思うことは、MSという兵器の描かれ方です。本来、兵器には正義や悪はありません。しかし、ガンダムでは、ガンダムはウルトラマンやキャプテン・アメリカのように正義のヒーロー然としていて、ジオン側のモビルスーツは悪いやつのようなデザインをしています。

ファースト・ガンダムの物語の設定を思い返すと、そもそもの発端となるのは、地球連邦のスペースノイド差別・冷遇により、独立気運が高まってしまったことです。地球連邦の政治怠慢が招いた。

この時、政治プロバイダに利用されたのが、シャアのお父さんが提唱した「宇宙へ躍進したスペースノイドの中に、高い空間認識能力と他者との精神感応力を備えた新人類=ニュータイプが現れる」 というものがあります。これがナチス的な選民思想と結びつき、地上に住む旧人類VSスペースノイド(新人類=ニュータイプ)という構図になっていきます。

戦争陣営的には、超巨大な統一体制地球連邦VS小規模な反体制ジオン公国なので、帝国VSレジスタンスの構図なので、JRPGにだったら、味方のポジションはジオン公国のほうに設定するのがよくあるパターンですよね。スターウォーズとかもそうだし。

なので、ガンダムは、正義VS悪陣営の物語ではなく、あくまで戦争という状況に望まずに巻き込まれた少年・少女の物語と考えられます。

ククルス・ドアンの島のエピソードでは、悪者みたいな姿をしたザクというMSが、子供たちを守る姿が描かれ、正義か悪かは乗り手次第だ、ということが強く描かれているように感じました。このあたりが物語は神回とされる部分なのかな。

 

地球連邦側のスペースノイドであるアムロ・レイは、たまたま父親が設計していた新兵器ガンダムに乗り込み、高いパイロット適正があり、戦争に巻き込まれてしまいます。苦楽を共にするホワイトベースの人員は同世代のものたちだけ。彼は、戦争という極限状態の中、まだ子供であるのに、自分の行く末を誰にも相談することができません。再会した父は、仕事に没頭していて自分を顧みてくれませんし、母は巻き込まれて必死で考え導き出してきた自分の答えを糾弾してきます。上司であるブライトも成長過程。アムロには頼るべき大人がいませんでした。

そんな中、ドアンという大人との出会いは、さまよえるアムロ自身の行末を考えるのに、非常に大きなファクターとなったように感じます。ドアンはかつて、尖鋭部隊を率いた歴戦の勇士でしたが、侵攻作戦において、民間人の惨状に精神を病み、軍を脱走(でも映画では表向きミサイルの管理などをしていたような感じだったので、これはTVシリーズの設定だったのか?)。戦争孤児達を集めて生活をしています。戦争を拒否して生きるという選択もある、ということをアムロに見せたのです。

 

対して、ドアンが抜けた尖鋭部隊サザンクロスの面々がいます。この連中の描かれ方はちょっと不満がありました。わかりやすい悪役すぎるんです。戦闘狂のルーキーぐらいは味付けとしてありでしたが、ドアンから隊長を引き継いだやつは、もっと理知的なプロフェッショナルな感じのほうが良かったと思います。

たとえばこんな展開はどうでしょう。戦闘狂ルーキーが窮地になり、島の子供を人質にしようとします。隊長はそれを阻止します。彼には彼の正義と道理があり、軍として命じられて都市進行をして民間人にも被害が出るならやもなし、しかし民間人を人質にするのは、軍人として見逃せない。袂を分かつとも、同じく戦争を終わらせ、平和な時代にしたいという思いは同じですが、陣営の違いで戦わねばならない……そういう展開だったとしたら、より一層物語に深みが与えられたように思いました。祖国の平和への道半ばにして脱走兵となったドアンを、軍人として許せなかったのです。アムロの「あなたの戦争のニオイを消す」 というシーンも、もっと印象的になったと思うな。アムロは、ドアンの生き方ではなく、軍人として生きる決断をした、とより強く感じることができる。

女性パイロットとドアンの関係にちょっと含みがあったのは良かったです。

 

ビジュアル面においては、キャラクターは手描きアニメーション、メカは3Dモデリングで描かれていました。キャラクターは、漫画オリジンから飛び出してきたかのような絵柄で、キャラクターの輪郭がダイナミックにアニメーションするリッチなものでした。それと硬質的な3DモデリングのMSの重厚感の対比が顕著で、個人的にはすごく良かったです。3Dモデリングで手間のかかるダメージ表現も、なかなか頑張っているように思いました。

 

ザクのパイロットだけをビームサーベルで射抜く神業も見れたし、TVシリーズで作画崩壊したドアンのザクを、現地改修によって異形となったという設定にしたのも面白かったです。

 

この映画の一番の欠点は、島のロケーション自体に、大きな魅力を感じないことです。おそらくTVシリーズのドアンの島のイメージに引き寄せられすぎなんです。そのせいで、戦闘シーン以外では、似たような岩肌のシーンが続いて中だるみ感がでてしまう。

紅の豚のポルコの隠れ家みたいな、魅力的な舞台を用意すれば、景色を見せるシーンだけで観客の目を釘付けにすることができたのではないでしょうか。

 

最後に、劇中の疑問なんですが、どうしてアムロが灯台の灯りを直してしまうのが、余計なことだったんでしょう……。居場所を知られたくないとかなら、子供たちに話せばよかったことですし、冷蔵庫とか室内灯の灯りだけ電気系統を分配すればいいだけです。島を不便な状況にして、ドアンが子供たちに従属しやすい状況にしたかったのではないか、と変なミスリードをしてしまいました。

 

smoglog.hatenablog.com