ネタバレが怖くて、公開二日目にして早々に、庵野秀明監督による仮面ライダー・リブート映画を見てきました。
映画の前に、つけ麺食いました。麺500グラム。
うまい!!!
鑑賞特典カードは主人公とヒロインの二人。
通常枠では当たりでは!
以下、ネタバレ有り!!!!
仮面ライダーにわかですが、素晴らしかったです。
シン・ゴジラ、シン・エヴァ、シン・ウルトラマンと、シン冠の映画をコンプしてきましたが、一番カルト的で客を選ぶ作品と感じました。
個人的には一番好きで、最後に持ってきたのも、良かったです!
まず、冒頭からぶっ飛びましたね!
ヒーローとは思えない残虐すぎる威力のパンチに、ショッカー戦闘員の頭が弾け、ほとばしる鮮血。結構ダークな作風という、石ノ森章太郎の原作へのリスペクトを強く感じましたし、良い意味で鑑賞者置いてけぼりのインパクトがありました。
映像としても、とても斬新に感じました。細かいカット割りによってリズムが生まれ、長く場面転換の多いシナリオも全然中ダレしませんでしたし、見ごたえある斬新なアングルが多用されていました。
戦闘シーン以外はバストアップのカットが多用されていて、アニメ監督っていう出自を強く感じたな。
バトルはほとんどCGアニメで、高速戦闘のコマ落ち演出など良かったです。
ライダージャンプ、ライダーキックのシーンや、サイクロン号が変形するシーンは、バンクシステム(特定のシーンの動画を銀行のように保存し、別の部分で流用する手法。アニメや特撮で制作費を圧縮するために使う)のようで、昔の特撮を意識させる演出がされていました。
青空を背景に宙返りをして場面転換する演出が多用されていましたが、その度に普通は考えられないような撮影場所移動がされていて、面白かったです。もしかすると、パンデミック下の撮影で、思うように撮影が出来ず、ああゆう演出が施されたのかなー。こういうのも特撮由来の演出なんでしょうか、すごく斬新に思いました。
本郷猛のキャラクターがとても良かったです。優しく内省的な青年が、改造手術によって強すぎる力に翻弄される様はリアルでした。劇中にあるセリフにあるように、「暴力に対して何も感じないこと」 に思い悩むのは斬新でした。戦いになれば、きっと暴力を振るってしまう。だからこそ、思い悩んだんですね。故に、ハチオーグ戦で、わざと攻撃を外すことができたのは、マスクの影響から脱却して完全なる自我を確立したというふうに考えられます。
悪人であっても、自分の力で殺してしまうことに悩み、自分もああなっていたかもしれないと、量産型のバッタオーグに黙祷を捧げるシーンが印象的でした(二号も遅れて察してるのが良かった)。
父を他人に殺された過去によって、他人との関係性を結べなくなってしまった。特に女性との関わり方なんて未知のものだったのに、緑川博士からルリ子を託され、父(兄か?)の役割を背負うことになります。劇中で、何度もルリ子との関係性について男女のものなのか邪推されることからも、二人の関係性が、恋愛感情云々の話ではない、ということが強調されています。ある意味、とても真っ当なヒーロー像が新鮮でした。今のヒーローって好きな相手のためなら、世界をあっさり犠牲にするか、ヒーロー補正で最初に恋人を選んでおいて世界も救いそうじゃないですか。本郷猛とルリ子の最後は、そういう意味でも衝撃的だったなぁ。
欲を言うと、仮面ライダー1号本郷猛の俳優さんは、前半の感じは良かったけど、後半の二号一文字隼人が出てからは、役者パワーが足りなかったように感じました。劇中でも本郷猛はしっかり成長しているんですけど、あの2号と肩を並べるには、強烈な飛躍がもっと必要に感じました。
一文字隼人がショッカーの支配から開放され、ルリ子にマスクを外されて滔々と涙するシーン、エグかったですよね。彼の悲しみがどういったものなのか、全く語られませんけど、その深い悲しみが伝わりました。
一方、ルリ子のビデオレターを見た本郷猛が、マスクをとる時のシーン……どう見ても、自分には必死で泣こう、泣こうとしているようにしか見えなかった。やめろ、涙が出ないからって、ちっとも流れてない涙を無理して手で拭うんじゃない!! 冷めるだろって思っちゃた。別に悲しみを表現する手段は、涙だけじゃないだろう、って個人的には思うんです。夕日をバックに微動だにしない背中を見せるとかね。ここはそういう演出をとらなかった監督の判断にも疑問だな。
多くの考察でも目にしますが、シン・シリーズの「シン」は震災の「震」という意味があると思っています(コウモリオーグ編とかみると、シン・仮面ライダーはパンデミック要素も取り入れていそう)。
シン・ゴジラは、まさに震災がおきて、原発に事故が置きたあの状況を、政府はどのように収束させるか、という物語でしたし、シン・エヴァは、ニアサードとサードインパクト後、震災後からどのように再興していくか、という物語のように感じました。
対して、シン・ウルトラマンは、震災そのものではなく、立ち向かう「人物」の話のように思いました。米津玄師が歌う主題歌の歌詞には、「痛みを知るただ一人であれ」という一節がありますが、たった一人が傷つく覚悟を自覚し矢面に立つ、十字架を背負うお話という印象なんです。その他大勢は、自分は弱者で戦うことはできない、ただヒーロー一人(と責務を背負うチーム)が孤独な戦い、一般人はそれを文句だけ言ってるという構図です。ウルトラマンに強く影響を受けているエヴァにも、そのイメージはあって、シンジと新二という同じ名を持つ主人公からも連想してしまいます。
で、今回のシン・仮面ライダーは、そのたった一人のヒーローが、「自分かもしれない」 物語に思いました。本郷猛は、物語の元凶とも言える緑川ファミリーとは無縁の存在ですし、一文字隼人は完全な巻き込まれた人間です。オーグメント手術によって、一般人でも、誰もが仮面ライダーとなって戦う運命へと巻き込まれるかもしれない。
ショッカーが完全な悪ではないのも良かったです。現実世界にも、身勝手の極意な自分の正しさが、全体の平和に繋がるとして、主義主張を強硬に振りかざす連中がいるわけで。緑川父と本郷猛の関係は師弟なんだろうけど、自分の償いに巻き込むのは、ちょっとトンデモネーヤツって思いましたが。そう言えば、ルリ子もコウモリオーグの支配から抜け出すタイミングおかしいよな。たくさんのルリ子ソックリさんをデモンストレーションで死んでからだもんな……兄はアレだし、似たもの親子なのかも。母親も語られないだけで真っ当な善人じゃないかもな(笑)
そんなふうに考えて、この4作品の最後を飾る(続くのかな?)作品が、本作品であるのは非常にしっくり来ました。
追記:他の方のレビューを見て、自分が気がついてなかった部分が多くあったので追記します。
映像クオリティ問題ですが、庵野秀明監督へのファン心理で鈍ったか、自分の感覚がヘッポコだったんでしょう、気が付かなかったり、演出の一部として飲み込むことができました。
もっともらしい理由を考えるなら、上映前の予告編で、聖闘士星矢のハリウッドを見て、あっちのほうがCGクオリティ高いのに、なぜか超ダセェって思っちゃたんですよね。
やっぱり、世界の美意識感覚の基準って、西洋のものなんです。日本人ではあのピカピカの世界では、浮いてしまうように感じました。単なる西洋コンプレックスなんですけど、シン・ウルトラマンと共通する、垢抜けない感じや珍妙さは、日本的カッコよさ・独自性を新しく開拓していたんじゃないでしょうか。変に背伸びしてなくて良いっていうか。
アクションシーンか近すぎて何もわからない、トンネルが暗すぎて以下同文……シン・仮面ライダーワールドに心酔しすぎて、脳内補完余裕でした……。
説明口調すぎる……。これは同意。ちょっとシン・エヴァから、観客にちゃんと伝えよう伝えようとして、野暮な部分はあるように感じました。親父の殉職シーンなんて、本人目撃してる前の回想はやりすぎに感じました。