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ソフビ雑記41:造形に宿る為人(ひととなり)

ソフビそのものについて、僕の浅い知識と独断と偏見でアレコレ勝手に語る、ソフビ雑記のコーナーです。

今回は、ソフビ造形におけるスタイルや個性、「味」について、つらつらと考えたことを書いていきます。

ソフビと西洋彫刻的なリアリスティック思考のフィギュアのスタイルの違いはどこからくるのでしょうか。

 

ひとつは、スラッシュ成形による造形的な制約があります。なるべくしてなった、という部分。

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ひとつは、日本・アジア独自の感性があると思います。仏像のふくよかさが美しい、昭和のハンサム顔的な。

 

その中で、今なお活発に活動されている作家さんの中で、これほど多種多様で好き好き分かれる個性がどうして生まれていくのでしょうか。

 

人間の内面は、その所作に現れてきます。キビキビ動く人、ノロノロ動く人。姿勢の良い人、悪い人。直接的な人、婉曲的な人。乱暴な人、丁寧な人。厳しい人、優しい人。美点欠点が両方・同時にあると思います。

 

例えば、文字を書くことも人の所作であるなら、そこにはその人のひととなりが現れるはずです。これはちょっと趣味が悪いかもしれませんが、人の字を見てその人の内面を観察することがあります。

ある時、その人の表層的な印象と文字が一致してないことに気づきます。「この人、態度は妙にトゲトゲしいけど、文字はやけに小さくて自信なさそう」 とか逆に「ふだん大人しいくせに、文字は大きくて大胆。本当の自分を会社では出せてないのかな?」 とか。あくまでこれは妄想の範疇ですが、長くその人と付き合っていると、なんとなくその通りの部分があるのではないか? と感じることがあることも事実です。

ちなみに、自分はよそ行きのキレイな文字と、普段の適当な文字を極端に使い分けるので、二面性があるのかなぁ、と自己分析!

 

文字は意志さえあれば矯正して、どうとでも書けます。こうありたい自分を表現できるといいますか。普段ズボラと自覚している人は、几帳面な自分でありたいと願って、そういう印象の文字を書くでしょう。自分の字が下手だ、と自覚しながら、キレイな文字を書けるように練習しない人は、良いか悪いか別にして、どこまで行ってもそういう人なのだ、ということでもあります。

 

こんな風にして、自然にしろ自覚的にしろ、自分の内面から溢れ出てしまった所作が、個性だったり「味」とよばれる感覚的なブレなんだと思います。

造形も自分の手で行うものですから、多少なりとも、そこには造形された方のひととなりが現れるはずです。なんだか優しい造形だなぁ、と感じたら、造形した人はきっと優しい人か優しくありたい人であるはずです。ちょっとロマンティックすぎますかね(笑)。

 

また文字の話に戻すと、文字には「お手本」がありますよね。整然とならんだ文字は、キレイで読みやすいし、書ける人はすごいと思いますが、終着点が明確なぶん、個性的とは言い難いと思います。

おそらく、ここがソフビと西洋彫刻的なリアリスティック思考のフィギュアの大きな違いの一つなのではないでしょうか。西洋彫刻的な美というのは、研究され体系化されていて、お手本となる終着点が明確です。そこにどこまで迫れるかで、切磋琢磨しているのです。ですから、評価するのが容易で、好き嫌いが分かれにくい。

対して、ソフビには、例え当時モノの〇〇や、ある作家が好きでオマージュしたとしても、自分の感覚に頼る部分が大きい。研究不十分、歴史的に浅いとも言えますが、よりダイレクトに自己表現できるとも言えます。

現代美術家の方々が、ソフビに興味を感じているのは、マーケットとして円熟したのも一つですが、表現の受け皿としての魅力を感じたのも一つなのではないでしょうか。

 

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