※序盤のネタバレと、極度の妄想を含みます。
フロム脳というのは、あまりテキストやカットシーンなどで、詳細を説明しないフロムソフトウェアのゲームで、場面状況やアイテムのフレーバーテキストから、妄想を繰り広げて、拡大解釈を楽しむ作法です。
昨日の記事は、(僕のブログでは)珍しくいつもより多くの人に読んでもらえました。へっへっへ、流石は注目作品……ネタが続く限り、こすりまくっていくぜ……。
今回は、PV公開以来、大人気の「歩く壺」 生壺が一体何なのか、何を暗喩しているのか、について色々妄想と考察をしてみました。
例によって、コメント欄は公開していますので、自由に書き込みして頂いて大丈夫ですが、正しい・間違ってる等が書かれて、まだ途中なのに僕自身がネタバレ喰らいたくないので、書き込みあっても僕の方からリアクションはしませんのでご了承ください。
鉄拳アレキサンダー
序盤、マルギットに返り討ちにされ、リムグレイブをさまよっていると、どこからともなくプレイヤーを呼び止める声がします。
崖上に登ると、そこには地面の窪みにすっぽりとハマってしまった歩く壺がいます。
彼の名は鉄拳アレキサンダー。
戦士としての矜持に満ちた、気持ちの良い御仁でした(ただし、見た目は壺である)。
なにやら、彼はこの先の土地で開催される戦士の祭典へ向かう途中、窪みに「ピッタリとフィット」してしまったようです。
彼に促され、プレイヤーは、「長大な武器」で彼のお尻をぶっ叩いて、救うことに。
殺伐とした狭間の地で、このシーンはユーモラスで楽しい瞬間です。
無事救出し、祭りの地へと向かうアレキサンダーを見送ります。
しばらく後、とある坑道で、立ち往生しているアレキサンダーに再会します。
その時の会話で、「どんな困難にも立ち向かう」、なぜなら自分の壺の中には「戦士たちがいる」からといいます(ニュアンス的にこんな感じだった)。
ここで思ったのは、ちょっと不気味な想像です。
あの壺の中には、死んでグチャグチャになった戦士の肉が詰まっているのか……ということです。
ストームヴィル城にて
リムグレイブで、歩く壺に会える場所が僕の知る限り、もう一箇所あります。
ストームヴィル城です。
アレキサンダーさんに会っていたので、友好な種族なのかな、と思っていたら、ここにいる歩く壺は、プレイヤーを見るやいなや、こちらを攻撃してくるのです。
鈍重そうな見た目に反して、トリッキーで軽快な動き。
倒すと、壺が粉々に砕けて、血しぶきが上がります。
ああ……やはり歩く壺の材料は、人間の戦士なんだ……と思いました。
そして、ストームヴィル城の、この場所だけに歩く壺が配置されているんだろう、ということが疑問に思いました。
この場所、ストームヴィル城の大ボスの部屋の手前なんですよね。
そして、ハッとしました。
そういえば、マルギットの体力を半分にすると、「やはり褪せ人は戦士の末裔か」 と言って、本気をだします。
アレキサンダーは、自分の中には戦士たちがいると言ってました。
そして、この配置。
ここの壺の材料になったのは、祝福の導きに従ってゴドリックに挑んだ褪せ人たちなのではないか、と思いました。
ゴドリックは、褪せ人なんか接ぎ木の材料にしない、と言ってましたから、その遺体が壺の中にまとめられて、ここに放置されているのではないでしょうか。
僕らは開発者の手のひらの上
この場所にいる歩く壺ですが、二種類います。
そうそう、デカイヤツと小さいやつね。
……違います。
こっちに敵対するヤツと、近づこうが攻撃しようが何もしないヤツです。
最初、ただでルーンくれて、ウマーって思ってたんですが、ここの歩く壺の材料が褪せ人だとしたら、意味合いが異なってきます。
何もしないヤツは、ゴドリックが強すぎて、不貞腐れてゲームを投げてしまったプレイヤーを暗喩しているのではないでしょうか?
ちょっと意地悪な考えですが、歩く壺には顔がありません。壺という狭い世界の中で閉じこもっていることが、インターネット越しに好き勝手なことを言ってる我々とシンクロしている気がします。
歩く壺=プレイヤーたちという構図が正しいとすれば、鉄拳アレキサンダーさんもまた、プレイヤーの化身です。自分が壺の中という閉じた世界の中にいると自覚しながらも、自らの内の戦士たちと連携しあい、不屈の精神でどんな困難にも立ち向かう。ときには壺の外側の他者へ素直に助けを求められる。とても難しいゲームに「ハマって」しまったんだー。ネットの智者よ、助けてくれー。
窪みに「ピッタリとフィット」して「長大な武器」のこの組み合わせ……壺(大釜)にハマった男が、ハンマーで崖を登る奇妙な鬼畜難易度ゲームを連想しませんか?
エルデンリングは、たしかに難しいし、不親切だし、どこもかしこも薄暗いし、万人受けではないでしょう。
難易度選択、親切丁寧なチュートリアルとクエストマーカーやログを用意して、明るくハッピーな世界にしてほしいという要望があることも、不満が出ることも開発者はきっとわかっていたんです。
その上で、自分たちが表現したい美学を貫いたんだと思います。
本日の考察はここまで!
では狭間の地へ戻ります。