超ミーハーなドヤリング記事。
ゲームニュース、レビューサイトのIGN Japanが、You TubeやPodcastとして配信中のゲーム雑談番組『しゃべりすぎGAMER』にて、わたくしのコメントが、ついに取り上げてもらえた!
「名前が読めないんだよな……エス……モグログさん?」
すみません、スモッグログです!!!!
しゃべりすぎGAMERでは、普段顔の見えないゲームニュース・レビューサイトの編集者やライターの方々がどういう考えで記事を書いているか、人となりを知ることができ、書き手の性格を知った上で、レビュー記事を読む、あるいは好きなライターの記事を探して読むことができます。単純に、皆さんキャラが立っているので、タレント性も高くて面白いです。
さて、僕のコメントは、前回配信232回の「インディーでは今なおポピュラーな「ドット絵」が素晴らしいゲームたち」へのコメントです。
ドット表現が、懐古表現としてではなく、過去を知らなかった人による新しい表現となっていくことによって、どう進化していくか、ということを考えながらコメントしました。
あまり長文になってしまうと、取り上げにくいし、話も広がんないだろうなと思い、書きたいことの三分の一くらいにとどめたんですけど、自分の思った方向には発展しなかったので、この記事にて補足します。
「モニターの高解像化によって、フラットデザイン的なベタ塗り、ジャギをあえて強調するドットが増えたような気がします。」
と書いたんですが、これについてのコメント返信は、日本と海外のドット表現は異なっていて、日本はドット絵黄金期そのままの原理主義的な思考で、僕がコメントしたような表現は、海外勢に多いように思うとのことです。
僕個人の考えとしては、日本と海外にそれほど違いは感じてません。本職のライターさんが言うんだから、僕の認識が間違っているんだろうけど、世代の違いという感触です。
その世代とは、マインクラフトの様なボクセルスタイルの3Dゲームがドット絵に与えた影響は大きいと感じています。
つまり、ドットというのは、かつてはモニター解像度のピクセルであり、それ以上もう分割できない素粒子のような存在でした。マインクラフトなどのボクセル表現とモニターの高解像度化によって、ドットはピクセルの素粒子から一つの原子=マインクラフトの素材ブロック)になったのではないでしょうか。
例えば、全てのピクセルが物理的にシミュレートされたNoitaに似たコンセプトを持つAGHARTAというゲームでは、背景、キャラクター、敵、ボスと異なる大きさのグリットを持つピクセルで構成されています。
Nintendo Switch アガルタ エス プロモーション動画
悲しいかな、このゲームでのドット表現は、単純なドットの拡大縮小のように思えて、手抜きのように僕には感じられてしまいました。
ちなみに、このゲームは日本のゲームです。
また、ビジュアル表現として、動画内でも紹介されたOLIJAも京都のスタジオの作品。
スキタイのムスメなど、このスタイルが海外からメジャーになってきたのは確かに感じますが、今後はディスプレイ解像度に固定されないドット表現が花開いてもよいと思います。
Superbrothers: Sword & Sworcery - PC trailer
たとえば、手書きグリッドによる不均一なドット。四角形以外のドット表現(円形や、三角形、八角形など)。滲んだドット、隙間のあるドット。それらの複合。これらが、映像表現としてではなく、ゲームプレイに影響を与えるようなものに昇華されたとしたら、と僕は思うのです。