お題「#買って良かった2020 」
ネガティブなニュースが今も多いサイバーパンク2077ですが、僕は非常に気に入っていて、現在も毎日ナイトシティに繰り出しております。
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前情報どおり、メインストーリーは短くまとめられているので、結構終盤まで来ていると思うのですが、このまま終わらせてしまうのがもったいなく感じ、膨大なサイドクエストをすこしずつこなしています。
クリア後の感想記事がまだ先になりそうですが、いろいろと感じたことが溜まって来たので、ちょっとしたコラム的な感じの記事を書こうとおもいました。
第一回は、サイバーパンクというジャンル自体について語りたいと思います。あくまで、個人的な考えですが、このジャンルがどういったものなのか、にわか語りしていきます。
このゲームは、サイバーパンクが好きかどうかに、ドハマリするかどうかの素養が左右されます。サイバーパンク2077は、バトルシステム自体は、ハクスラ要素(ボーダーランズのような)とクライムアクション(グランド・セフト・オート)を足したような感じですが、特にグランド・セフト・オートなんて、僕の場合はまったく食指のわかないタイトルなので、サイバーパンクか否かは、かなり大きな割合を示しています。
間違ったままの認識で突き進んだ、ありえない未来。
個人的に一番大事な要素として、サイバーパンクはサイエンスフィクションのいちジャンルですが、サイエンスフィクションの多くが、「もしかしたら、こんな未来がくるかもな~」という思考で作られているのに対して、サイバーパンクは「こんな未来が来たら嫌だなぁ~」って思考で作られています。
サイバネティックス(人体改造)など驚異的なテクノロジーの発達が描かれる一方、社会は企業による超格差社会となっており、犯罪が多発しています。
ナイトシティでは、行政よりも企業の方が支配力が強く、とくに存在感を出しているのは日本企業のアラサカ社です。
日本企業が悪として描かれがちなのは、サイバーパンクでありがちなことなのですが、この背景には、第二次世界大戦でケチョンケチョンにして再起不能にした日本が、高度成長期を経て、未曾有の躍進を遂げたことがあります。当時のアメリカでは、経済戦争で敗戦の復讐として、アメリカ国土を日本企業が買っていくのではないか、という恐怖が蔓延していたそうです。これは、今の日本における中国の脅威と重ねることができますが、実際はバブル崩壊とともに杞憂に終わったことは、全員の知るとおりです。
ネオンサインのHOテルなど、妙な日本語の看板は修正されず、間違った認識のまま突き進んだ空想世界である証左です。サイバーパンクにおいて、こんなのありえないよ、とか整合性が取れていないとか言う指摘はナンセンスなのです。
サイバーはスタイル。パンクはテーマ。
サイバーパンクを語るとき、スモッグと雨に煙るネオンギラギラの摩天楼や、ネットワーク接続された脳、義体化された人体などを連想しますが、それはサイバーパンクを語る上では、サイバーだけで半分しか見れていないと思います。
もう半分のパンク。パンクとは、本来は「不良、青二才、チンピラ、役立たず」を意味していましたが(もちろん、この意味も含む)、本質として、個人の自由(反体制)の精神が含まれています。
どうしてパンクがここまで暴力的なのかというと、大人たちが勝手に決めたルールに異議をとなえるためには、大人たちの流儀(おとなしく議論して)ではなく、攻撃的なファッション、これまでにない奇妙な音楽、そして暴力で行動を起こさなければならないのです。
その行動をグレた、と大人は言うかもしれません(たしかに幼稚な手段と見えるかもしれませんが)。
ナイトシティにおいては、すでにサイバーパンクというムーブメントが半世紀以上経過しており、荒れ狂うパンクスが老人になってしまっています。
これはノーフューチャーの精神、俺たちに明日はない、太く生きて短く死ぬ、のパンクとしては非常に矛盾しており、はっきり言ってダサい。この矛盾をどう描くのか、は発売前より注目しておりました。
劇中の描かれ方としては、パンクの精神は現実世界と同じく、単なるスタイルとなっており、ファッションや音楽にのみ残っているようです。
延命処置でお金持ちはいつまでも生き、底辺に生きる若年層は若くして逝ってしまう。カルチャーとして新陳代謝がおきず、老害たちが既得権益を貪っている……そんな状況で、サイバーパンクというディストピアが半世紀以上続いています。
人々は企業に不満を持ちつつも、この環境に適応して、普通に生きています。主人公Vなんて特にそんな感じです。言う慣れば、このタイトルは、ポスト・サイバーパンクとも言うべきジャンルなのかもしれません。
「自分」とは。
我思う故に我ありと、昔の人は言いましたが、テクノロジーが高度発達した世界では、そうは言っていられない状況になります。
サイバーパンクは、このテーマを重要視してきました。
ブレードランナーにおいては、人間とほとんど見分けがつかず、生殖すら可能な人造人間の自由意志について。
AKIRAにおいては、人工進化による超能力覚醒、力が強ければ強いほど、自我は曖昧となり装置となっていく様が描かれました。
銃夢においては、記憶喪失となり過去を忘れてしまったのに、身体に刻まれた戦闘技術は覚えている主人公と、チップ化された人々が描かれていました。
攻殻機動隊においては、高性能な肉体を手に入れたのに、政府に管理されて自由を失った主人公が登場します。
サイバーパンク2077においては、伝説のロッカーボーイであるジョニー・シルヴァーハンドの人格を納めたチップを取り込み、脳を共有する主人公Vを通して、自分について思考することになります。
攻殻機動隊と対象的なのは、魂の所在がないことです。攻殻機動隊では、ゴーストという名称で、魂(自分が自分であるという証)が立証されています。これによって、脳を電脳におきかえ、身体を完全義体化することの倫理的な問題をクリアすることができています。
サイバーパンク2077では、魂があるのかないのかはわかりません。生前のジョニーは、人格がチップにコピーされましたが、肉体は死んでしまっています。チップにコピーされたジョニーは、ジョニーのように振る舞うデータでしかないのです。同じように、チップによって復活し、チップから侵食をうけているVは、本当にVなのでしょうか?
おそらく、大事なのは自分が関係した人々に、Vとして覚えておいてもらって、記録してもらうことなのでしょう……永遠なんて幻なのだから……そんなことを考えながら、ゲームをプレイしています。