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マーベルズの感想-また世界を変えるチャンスを逃したことについて

僕は差別主義者のようです。

 

マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)シリーズ興行最低という不名誉な記録を打ち立てそうな映画マーベルズを見てきました。日本でも客入りが芳しく無く、近所の映画館(といっても上映される映画館は隣県なんですが)での上映は一日一回、来週にも公開終了ということもあって、慌てて友人から連絡があり見て来ました。

いつも鑑賞報告のためにポスターを撮影するのですが展示がなく、不憫な映画だな……と感じました。客席も半分以上空席が目立ちます。

 

この映画の興行悪化の原因は3つの観点から述べることができそうです。

一つは、アベンジャーズ・エンドゲーム以降、MCUシリーズが複雑すぎるようになってしまい、マニア向けになりすぎてしまったこと。さらにディズニープラスのドラマを視聴しないといけないことや、おそらく原作コミック由来の小ネタなど、にわかお断りな印象を感じました。次のアベンジャーズのおそらくスーパーヴィラン役が逮捕・降板など、行き先不透明感もヒーロー映画離れに拍車をかけたかもしれません。

 

ふたつめは、ポリコレ要素。今回はフェミニズム(女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動)をテーマとしていて、監督自らが「この映画を嫌いな人間は差別主義者、性差別主義者、同性愛嫌悪者」 と言うような発言をしていて、たとえフェミニズムには賛同しても、一方的に映画によって試金石にするのは納得し難く、面白く・面白くないを判断するまでもなく、「見ない」 という第3の選択肢を選んだ人が多かったのではないでしょうか。

参照-元記事(英語)Director Nia DaCosta Says ‘The Marvels’ Haters Are “Virulent And Violent And Racist And Sexist And Homophobic” — World of Reel

 

3つ目は単純に映画の出来です。個人的に面白いシーンはありましたが、前作キャプテン・マーベルの記憶にまつわるサスペンス仕立て、パワフルでビューティフルなキャロル・ダンバースのスーパーヒーロー映画としての出来より劣っていると感じました。フェミニズム映画としてのテーマ性も次元が低く感じました。エンドクレジットで、マーベルズがカムバックしないのも……まあ、納得です。

 

前作の感想読み返したけど、めちゃくちゃ絶賛してました。この落差よ……。

smoglog.hatenablog.com

 

以下ネタバレ。

この映画では、フェミニズム活動家がこれまでの批判を繰り返してきた、エンターテイメント作品で男性優位で物語が展開(か弱い囚われの姫が王子によって救われるというワンパターン展開)することへのカウンターとして、女性ヒーローが活躍して世界を救うという理想が描かれています。

冒頭、新しい新米ヒーローとして登場するミズ・マーベルが空想するコミックの演出はとても面白く、この始まりはこの作品、実は世間が言うほど悪い作品ではないかも? と期待をふくらませることが出来ました。

 

キャプテン・マーベルに加え、新しいヒーローのミズ・マーベル、前作から成長したキャプテン・ランボーでユニット・マーベルズを結成します。続編となると、火力だけで演出的に面白みのなかったキャプテン・マーベルに、3人の凸凹ユニットは、面白みとドラマを加えてくれます。

帰還を約束したのにも関わらず、母の危篤にも側にいてくれなかったキャロルと微妙な距離感になってしまったランボーは骨太のドラマを見せてくれるし、推しのヒーローと一緒に活動でき、ただただミーハーっぷりをみせるカマラは、本当に笑えます。

同時に能力を使うと入れ替わってしまうギミックは面白いアイディアですし、視覚的に3人が歩調をあわせ、チームワークを結び、過去の軋轢を解消していくことが実感できます。

 

歌うことしかできない異星人が出てきたシーンはシュールで面白かったです。ただ、ヴィランのダー・ベンがやってきて、普通に会話しているのは、バウリンガルとしても面白演出なだけで、多文化や多様性を表現したいわけではないのか、と残念でした。

唐突にキャロルがプリンセスであったという事実が発覚しますが、ヒーローでプリンセスってなんだか、欲張ってるなぁと思いました。なろう小説的な。キャロルだけチームの中で抜きん出たルックスとスタイルをしているので、白人であることも加えて、意識高い系メゾットで難癖付けようと思えば付けれる感じ。

 

もう一つ面白かったのは、宇宙ステーションS.A.B.E.R.の危機に脱出ポッドが足らず、クラーケン猫たちが局員を一時的に口の中に含んだところです。ホラー映画顔負けのシーンが面白かったです。

 

最近のMCUで言えることではあるのですが、映画の外で起こっていたエピソードが多く、ゲームでいうDLC商法のような印象を受けます。続きものとして、忘れていて「ああ、そう言えばそうだった」 と感じる部分よりも「そんなのそもそも知らんわ」 と感じる部分が多い。一本の映画としてみたとき、歯抜けのように感じます。マニアとしてどっぷり浸かれば面白いのでしょうけど、僕には随分ハードルが高く感じてしまいました。

 

個人的に一番残念に感じたシーンは、キャロルがクリーの人々を「救える命を救わないと」 とあっさり見捨てるシーンです。それがヒーローとして一貫した彼女のポリシーだったら、全然問題ないのですが、直前のカマラを救出するシーン、ラストで家族であるランボーを助けようとする必死さの温度差にゾッとします。僕には、緑の肌をした宇宙人と人間との差別のように感じました。監督の言う、「この映画を嫌いな人間は差別主義者、性差別主義者、同性愛嫌悪者」 と正義マン面しておいて、身勝手な尺度で正義を語り、無自覚に差別しているように感じたのです。

 

これらヒーローとしてのスタイルが、現実主義者のランボー、理想主義者のカマラ、不可能を可能にしてしまうスーパーヒーローキャロルとして映画を通して使い分けられていれば、納得できたのかもと思いました。

 

ディズニー内での期待はどうだったのか、MSUとしては大作感がなかったように感じました。安っぽいヒーロースーツ、ラストバトルはイキナリ3対1だし。青い顔の取り巻きとかどこ行った?

 

自分としては、前作が面白かったし、女性ヒーロー作品は歓迎なんですが、男性ヒーロー作品が積み重ねてきた重厚さと比べると、今作はちょっと底が浅く感じました。ヴィランが命乞いして、助けようとしたら、「騙されたな」 と攻撃して、返り討ちする感じとか。

 

MCU史上記録的不入を叩き出したことは、活動家たちが批判するほど、世間は女性ヒーローが活躍して世界を救うという物語を必要としていないのではないか? と思わせます。実際問題、黒人人種差別抗議運動としても盛り上がったブラックパンサーとは大きな乖離を見せています。活動家たちがあれほど批判したというのに、フェミニスト達が映画館へ足を運び、このように女性が活躍を見せる作品が求められていることを世に示せば、自分たちの意思で世界を変えることができたのに、これはどういうことなんでしょうか? 

どうも、一部の活動家のやってることは、不平不満を叫ぶことが目的で、現実的な落とし所を模索して対話し歩み寄ろうとしているように思えません。未来永劫言い争い、分断と対立を望んでいるようにしか思えないのです。

 

映画をプロパガンダとして使うのは別にありだと個人的には思うんですけど、エンターテイメントとして求めれれてない事実が明るみになると、ここまで残酷になるのかと。

自分が思うにポリコレ思想って、そこまで強硬に主張するまでもなく、自然な流れとして受け入れられる素地はとっくに出来ていると思っています。自分が気持ちよくなるためだけに一部の過激な主張を繰り替えす人々が、今後その是非を問題提起するような内容を盛り込むことが次のトレンドになりつつあるような気がします。

 

活動家の人達は、次は君たちが待ち望んだ待望のゲーム、プリンセスピーチショウタイム!が出るので、文句言ってたんだから、買って今度は世界を変えるチャンスを逃さないようにしようぜ!!

 

 

 

前作の感想読み返したけど、めちゃくちゃ絶賛してました。この落差よ……。

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