※重大なネタバレあり
個人的に今年最高かつ、人生でも上位にくるであろう出来の良かったゲーム、ティアーズオブザキングダムなんですが、ラストだけはとても不満を抱えております。
今作は、過去へと飛ばされたゼルダ姫が、秘石を使って二度と元に戻れない禁断の手段である龍に姿を変えます。そして、ハイラル上空で孤独に悠久の時を越えて、ガノンドロフによって破壊されたマスターソードを復活させるという感動的な物語が展開します。
その二度とは元に戻れない、という禁断の手段ですが、ガノンドロフ討伐後、亡くなった初代ハイラル王と王妃の謎パワーによって、あっさりゼルダは人間の姿に戻ります。しかも、龍の状態の果てしない時間(何千年? 何万年?)は、眠っていたかのように曖昧な状態でした。
三年寝太郎かリップ・ヴァン・ウィンクルのように、寝てたら問題解決してましたわ、ラッキー! って感じで、ゼルダの悲愴の覚悟(世界を守るために、もう二度とリンクと言葉を交わすことができない)に涙した自分は、いったい何だったんだ、ズコー……! って感じで、物語のラストのエモーショナルな感覚は醒めていってしまいました。
同じような不満を抱えている商業メディアライターさんもいるみたいでした。
参照‐【ネタバレコラム】私が『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』のエンディングを許せない理由
もちろん、このエンディングが良いって人もいます。
人間に戻って空から落ちるゼルダを、ガノンドロフによって失った手が戻って、その手で掴み取るラストシーンにつなぐために、ゼルダを人間に戻す必要があったという推論は理解できます。
僕も、このままゼルダが龍のままとは思ってませんでしたが、こんな安直に元に戻るとは思ってなかったんです。
自分が問題視したいのは、「二度と龍から人間に戻れない」 とする前振りと「あっさり人間に戻ってますけど?」 の結果の極端さなのです。
このラストシーンに持ってくるには、ちょっとその極端さを埋めるには唐突・ご都合主義すぎませんか? ということなのです。
クリア後の感想では、ゼルダがもとに戻るなら、同時にガノンドロフも元に戻り生存ルートを残して、次回作に繋げれば良いのでは? と思ったりしました。
このラストなら、龍の姿のままのほうが美しいラストだったとする感想が出るのも理解出来てしまいます。
開発社インタビューでは、前作のシーカー文明の装置が今作で跡形もなく消えているのは、ガノン(前作のボス)が討伐されて、役目を終えて消えてしまったそうです。ハイラルではそういう不思議が当たり前に起きていて、ハイラル住民もそういう不思議を当たり前のように受け入れているとのことです。
参照‐『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』ディレクター、「シーカー族の技術は役目を終えて消滅した」と明かす。新たな遊びのために思い切った決断 - AUTOMATON
なら、ハイラルでは絶対はないということです。「二度と龍から人間に戻れない」 なんて言うなよ……そういったのって、プレイヤーの気持ちを揺さぶるための開発者が言わせた言葉じゃないかよ、とメタ的な意志を感じて萎えてしまうのです。
ラストについて、ラウルとソニアの亡霊パワーではなく、リンクの力によって復活したとする案もあります。この考察を読んで、今回の記事を書きたいと思いました。
参照‐「ティアーズ オブ ザ キングダム」のキーアイテム「秘石」とは一体何だったのか?一貫性のない「力」に関する設定を改めて検証する
そもそも今回のことで、ハイラル上空に飛んでいる龍たちは、はるか昔に秘石を飲み込み龍へと変化したゾナウ人ということです。かつて龍へと転じた者がいるからこそ「二度と龍から人間に戻れない」 という伝承が残ったのでしょう。
つまり、これまでの龍化のパターンにおいて、秘石の持ち主が集まろうが、亡霊だろうが龍から人へと元に戻すことができなかったという過去があった。
まさか今まで龍に変化した先人たちは、たった二人が人間に戻って欲しいと願ったことがないほど人徳がなかったとは思えません。
今回、元に戻せたのは、リンクが居たからだ、ということなのかもしれません。
一応、こういう考察でいけば、納得できるかな……?
欲をいえば、もっとわかりやすい演出が欲しかったですね。
せっかく7人もの賢者がいるのだし、彼らのパワーなんかも集まり、元気玉的な演出でハイラルの人々が「ゼルダ姫、元に戻って……!」 という意志が集積して奇跡を起こす、みたいな。力を倍加するという秘石パワーという伏線も生きてくる。
個として強大であろうとしたガノンドロフに対しての、カウンターとして演出となり、盛り上がりそうに感じられるのですが。
とにかく、僕の気持ちとしては、もう1段階このラストは良くなったと思っています。
それが本当に残念で、心残りなんだなぁ。