ソフビそのものについて、僕の独断と偏見でアレコレ勝手に語る、ソフビ雑記のコーナーです。
今回のテーマは、ソフビはアートか? です。
まず、僕自身のアート観から話ささてください。
そもそもアートというのは、優れた技工を表すものでした。驚嘆すべき技術で人々の営み、儀式、奇跡、美しさを写し撮り、この世に現すことがアートでした。
過去の優れた作品については、歴史的・資料的な価値があると言えるし、機械を使わずに人の手でこれほどの物が作れるなんて、という驚嘆の意味があります。写真と瓜二つの絵を鉛筆一本で描くみたいな作品は、この部分に属すると思います。そこに凄みを感じるのは、今も昔も変わらないのかもしれません。
しかし、機械技術が発展し、特にカメラが発明されたことにより、ただ単に優れた技術を表現することがアートでは無くなってしまいました。現在も芸術の世界では、科学技術の進歩によってアートの領域が削り取られていっています。
- 作者: エルンスト・H.ゴンブリッチ,E.H. Gombrich
- 出版社/メーカー: ファイドン
- 発売日: 2011/11
- メディア: 単行本
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現代において、アートの存在価値は、問題提起やパラダイムシフトに比重が移りつつあります。個人、集団問わず今直面している課題を浮き彫りにすることです。
そういう意味で、あいちトリエンナーレの昭和天皇像を燃やした作品もアート作品といえばそうなんでしょう。ただし、評価に値する作品なのかどうかは別です。
津田某美術監督は、表現の自由が侵害されたということで、アート的な価値があるかのように去勢を張っていますが、実体は浅はかな炎上商法でしかありません。タブーに挑むのであれば、そもそもタブー視されていることが変だ、と多くの人に疑問視させるような題材を選ぶべきです。
政治的プロパガンダ、ヘイトとか云々ではなく、炎上させれば話題に上がって来場者が増える、という低俗な考えの質の低い企画であったことが問題なんです。
慰安婦像なんかは、政治利用されただけで、きちんとしたメッセージもあるみたいですし、取り扱い方を変えれば、意義ある展示にできたのに残念ですね。
インディーズソフビは、価値が上がってしまう要素が強いんです。製品の性質上、数が限られてくる。人気が爆発してしまえば、定価よりも高い値段をだしても欲しいという人が増えてくる。
しかし、数が少ない=アートではないと自分は思います。
同じように、ヴィンテージだからアートという訳でもない。
希少価値があるというのはアート作品の一部の側面でしかありません。
ソフビの中にはこれはアート作品だとプロモーションすることによって付加価値をつけているような製品もあります。そこにアート性を感じるかは、我々の感性に委ねられています。
ソフビはアートか。
アートと名乗るのも自由ですし、自分がアートと思うのも自由です。ただし、そこに価値があるのかないのか、その判断も自由だと思います。
有名芸術家がプロデュースしたから、誰もが素晴らしいという作品になるわけでもありませんし、造形なんて初めてだという人が熱意だけで作ったものが、自分にとって掛替えのない作品になる場合もあるんです。世間の評価に影響されずに、自分が好きだと胸を張れるものだけを購入していきたいですねぇ……。そもそも手が出せなかったり、やっぱり注目されてる作品は欲しくなったりするものなので、なかなかできていないんですけど。
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