ソフビそのものについて、僕の独断と偏見でアレコレ勝手に語る、ソフビ雑記のコーナーです。
今回のテーマは、ソフビの人気モチーフである「怪獣」について語りたいと思います。
ウィキペディアには、こうあります。
「怪獣」の語は中国で編纂された『山海経』で初めて現れる。同書は中国古代の戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて、段階的にまとめられた。同書には、伝説的な妖怪、神々の類いが数多くまとめられており、「怪獣」も妖怪の類いを指す単語であった。
〜中略〜
今日では、日本で製作された怪獣映画や特撮作品などに登場する巨大な生物を指す場合が多い。1953年に『原子怪獣現わる』が公開され、1954年には『ゴジラ』が公開された。『ゴジラ』のヒットは日本に於いては怪獣映画というジャンル自体に成長し、その中でさまざまな怪獣が創造された。
引用-怪獣 - Wikipedia
ウィキでは、怪獣という言葉は紀元前にまで遡るということが書かれています。ソフビコレクターの中では、最後の怪獣映画、特撮に出てくる怪物が怪獣であるとするのが一番しっくりくるのではないでしょうか。
僕は怪獣ソフビの中には、いくつか系統や属性があると思っていて、大きく4つに今の所分けています。
それは「神としての怪獣」、「敵(ヒーロー)としてのKAIJYU」、「アートとしてのカイジュウ」、「カワイイかいじゅう」の4つです。はっきりジャンル分けされるわけではなく、そういう要素があるとお考えください。
神としての怪獣
僕がもっとも日本らしいと感じる怪獣たちです。
ゴジラは人間の核実験によってできた廃棄物の影響で誕生します。怪獣は地球環境を破壊した姿でもある高度に発展した街を破壊します。人類は知性によって栄華を極めていますが、果たしてこの方向は正しいのか? その自問自答が怪獣の姿です。思い上がった人類に罰を与える神の化身。人工知能に支配される未来や、ロボットの反乱などディストピア未来への漠然とした恐怖心。人類共通の敵として、協力関係を強固にする役割を持ちます。
上の写真にあげたホルモラーは、人間が捨てた食肉のモツの恨みが集合して誕生した怪獣です。
日本には常若(とこわか)という神道の考え方があります。常に真新しく、若々しいことが良いとする考えで、怪獣によって破壊された街が、怪獣が去り(退治され)復興をはたすことで、過去の都市よりずっと良くなる……その情景は常若より由来していると考えます。
このソフビの見た目は、ときにかっこ悪い場合があります。哀れさを感じることもあります。
敵(ヒーロー)としてのKAIJYU
単純明快にものすごく強いモンスターという区分けです。
アルファベットでKAIJYUにしたのは、海外の作家さんに多い印象があったからです。日本の怪獣にも、その要素があります。
攻撃的で、大きな怪我を追っていてもヘッチャラです。
そういう強者への憧れを感じます。
倒すべき敵(試練)でありながら、ヒーローでもあります。
このソフビの見た目は、格好良いもの、大きな傷跡、大きいなど。
アートとしてのカイジュウ
人類の戒めでもなく、カッコよさでもなく、また別のメッセージ性を怪獣に託してある作品です。
まだ持ってないんですが、例えばロン・イングリッシュさんの怪獣作品はここに属すると考えます。
写真のアイレスは、単純明瞭な怪獣のシェイプと目がないことで、形があるのに具体性を失っています。怪獣のイメージの器となって、形以上のもっと大きなものを感じます。うーん、上手く言い表せないや。
このソフビの見た目に、特に決まりはない感じ。
カワイイかいじゅう
厄災である怪獣ですが、怪獣ソフビはカワイイ要素があるものも多いです。
怪獣というかマスコットキャラクターのようなものまであります。
実は、そういうカワイイだけの怪獣には否定的だったんですが、この可愛さはソフビの柔らかさ由来のもので、実は最もソフビらしいのかもしれないなぁ、と思うようになりました。
商業的にも可愛いというのはとても強いです。汚らしい、ダサい、怖い……そういう怪獣よりも可愛い怪獣のほうが無条件にたくさんの人から理解されます。もっと大きな市場規模でも人気がでる属性だと思います。
このソフビの見た目は、キレイなもの、可愛いもの、わかりやすい、小ぶり……等。
まとめ
普段以上に個人的考えの強い雑記となりました。
どれも怪獣だけど、微妙に違うんじゃないかな、という考えがありました。
以前の僕の考えと違うのは、かわいい怪獣も怪獣なんだ、という認識になったこと。
怪獣とつけば何でも怪獣なのかよ! とツッコミ入れられそうですけど、興味ない怪獣はコレクションしなければ良いだけですから。
次回のテーマは「転売屋今昔(といっても僕の知ってるここ10年くらい)」にしようと思います。
ソフビ雑記バックナンバー