香川県の例の法令のニュースで、問題視され、騒がられているビデオゲームとの付き合い方について。
ビデオゲーム大好きな僕だって、ゲームに依存しきるのは問題だと思う。ゲームのしすぎで死亡者がでたり、課金しすぎで実生活が崩壊したり、そんなレベルに達していれば、病気でしょう。
僕に子を持つ親の気持ちがわかりませんが、ゲームをいくら禁止したところで、その時間を勉強に費やすとは思いません。きっと他の何かに使うはず。自分はそうでした。
新しいメディアが子供たちに悪い影響を与えるということが、毎度お決まりの大人たちの責任転嫁なのは、これまでの歴史を学べばわかることです(これ皮肉ね)。音楽、演劇、小説、映画……これらが最先端の娯楽として、一世を風靡していたころ、大人たちはビデオゲームと同じように危険視して除外しようとしてきました。
むしろ、問題視すべきなのは、勉強依存が問題にならない、教育の程度が低いことではないでしょうか? もっと楽しく、すぐに意味があると実感でき、子供の自身が進んで学びたいと思う学習方法の確立したほうが、建設的ではありませんか?
未来に確かな保証がないのに、ゲームよりも勉強に時間を費やした方が、子供たちの為になる……そんな神話を信じ切っている大人たちが、どうしてそこに心血を注がないのでしょうか? 工場で子供を労働させるのは違法で、勉強を強制されるのは罪に問われないのはどうしてなのでしょうか?
テレビゲームを悪と考える人は、ゲームを違法薬物のように考えているみたいです。
僕はテレビゲームとは、お酒のようなものと考えます。
お酒は、一人でも大勢でも楽しめます。沢山の種類があります。技術の結晶である。美術品のように価値がある。国ごとの特色がある。憂いや悲しみから人を慰めてくれる。高品質を目指してきたこれまでの歴史を学べばきっと面白い。深い文化があります。
しかし、過ぎたれば毒となります。ある種の人間を凶暴化させ、事故を起こします。
そして、僕のような、お酒に興味がない人間には一滴すら必要ない。
ゲームも同じだと思うんです。
ですから、「ビールは一人一杯まで」なんて法案が、どれだけ馬鹿らしいのか理解できると思います。こんな法案出した人は、ゲームに対して無理解すぎる。「これが楽しみで生きてるのに、やってられっかよー!」
今回はお酒を例に上げましたが、ゲームに熱中してしまう気持ちがわからない人は、自分にとってのかけがえのない趣味や嗜好品が、急に悪いものとして禁止されてしまうことを想像してみてください。
その上で、実生活に支障をきたすほど入れ込んでしまってる人をどうにかするには、カウンセリングしかないと思います。法令で簡単に禁止して解決できるものではなく、面倒くさがらずに長い時間をかけて解決して行くほかありません。もしくは、今の子供たちが、大人になり、また禁止したくなるような新しいエンターテインメントが誕生するまで待つか。
ゲーム大好きな人も、お酒に休肝日があるように、ゲームしない日も大事にしましょう。
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