野球を軸にアメリカのアジア系の女の子同士の恋愛を描いたビジュアルノベル「バタフライ・スープ」のネタバレ感想、考察記事です。
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この作品の扱っているテーマは、同性愛の部分以外のところも重いものがあります。アメリカにおける少数派であるアジア人への差別。ジェンダー問題として、強制される女らしさ。親による児童虐待。
劇中では、それらの問題は山積みのまま、まったく解決しません。恋愛要素についても、ドラマ的な起伏などなく、二人は出会うべくして出会い、偶然にも性的嗜好が一致し(自覚なかったにせよ)、再会を果たし、恋敵とのバトルもなしに幸福に結ばれます。
キャラクターたちは行動はエキセントリックですが、生き生きとした描かれ方をしています。全員が性格的にも環境的にも問題を抱えているので、エンディングの後のことを思い描くと、大変な経験をすることになりそうですが……悲劇的な未来がやってくるという感じはしません。
その理由はタイトルの「バタフライ・スープ」にあります。
幼虫が蛹となり、繭の中で一度液状(スープ)になり、蝶になる様子を、少女がやがて大人の女性になっていくことに重ねています。この作品には「素敵な大人」は登場しませんが、「大人になること=将来・未来」はむしろ好意的に描かれています。同時に蝶になる=大人になることは、めったに失敗しないし、難しいことではないことも言っています。
ノエルの母親は典型的な教育ママで、恐怖を与える演出なのか、端役に至るまで、きちんと顔まで描かれているキャラクター達の中で唯一、顔がありません。ノエルは親に抑圧され、今にも折れそう……に思えて意外な芯の強さと機転を発揮します。
アカーシャは、いわいる天才やギフテッドの類で、3人の心の内を直感的に理解しているような節があります。キャパシティオーバーギリギリのノエルを慮って、首位を譲っているようにも思えます。そんな彼女にも天才なりの悩みがあるみたいです。才能あるものも一種のマイノリティと考えられます。
ミンソの父親は虐待しており、もしかしたら彼女の頬の傷の原因や、ナイフを刺した相手は父親なのかもしれません。
ミンソは「暴力で解決できない問題はない」と言います。良識ある人は否定するかもしれませんが、ある意味でこれは真理です。この世の中の常識はそうやって決まってきました。相手を傷つけなくても、多数決で少数派の息の根を止めてきました。スポーツでも勝ち負けがあります。力でもぎ取ったものを正義・正解のように振りかざす人たち……それに対抗するのがミンソであり、この物語です。
ミンソの投げる球種はナックルボールです。蝶の飛行のように、投げた本人でさえ読めない軌道で曲がります。野球と言う題材とミンソの生き様がシンクロしています。そんな玉をディーヤは必ずキャッチします。そんな二人をみていると、この先も問題ないんじゃないかな? と思えてきます。
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