
ソフビそのものについて、僕の浅い知識と独断と偏見でアレコレ勝手に語る、ソフビ雑記のコーナーです。
いつぞや、SNS上で「マニアがジャンルを殺す」という言葉を知りました。
いろいろな含蓄が含まれている言葉に思います。
でも、これは事実ではなく、警告として読む言葉だと感じます。
この言葉が指している“マニア”は、単に詳しい人のことではありません。
多くの場合、「自分が知っている過去の正解」を絶対化し、「それ以外は劣化・堕落・裏切り」とみなす人、その態度のことを指しています。
ジャンルは、生き物みたいなもので、常に環境に適応しながら姿を変えます。
新規参入者が入り、技術が変わり、文脈が更新される。
その過程でノイズも混ざるし、浅い作品も増える。
ここまでは健全な成長痛と言えます。
ところが一部のマニアは、
「これは本物じゃない」
「昔はよかった」
「わかってないやつは口出すな」
という関門を作り始めます。
自分自身、最近の作家さんは、どこか違うなとか、別ジャンルに見えてしまうなとか、言ってしまいがちです。
そういう人が増えると、新しく外から来た人は萎縮し、作り手は過去の模倣に寄せる。
結果として、ジャンルは“保存”されるが“更新”されなくなるのではないでしょうか。
界隈がどんどん狭くなっていき、固定化してしまいます。
一方で「マニアがジャンルを殺す」という言葉は本当なのか? と思う気持ちもあります。
世の中には、強い強いマニアの批評に晒され、それでも発展しているジャンルがありますよね。
アニメ・漫画とか、食文化とか……。
「マニアがジャンルを殺す」という言葉を言った人は、実はジャンルの中の人だったようです。
これって運営側の人が、客のせいにした、言わば敗北宣言をしたようにも、自分は感じます。
マニアは、熱量があり、金も時間も落とすはずです。
彼らの期待に答えるだけのビジョンが、「マニアがジャンルを殺す」という言葉を言った人には無かっただけじゃないでしょうか。
ジャンルにとって、もっとも手堅い客層を御しきれなかった。
また、僕が集めているインディーズソフビは、連続する個人制作の集合体。
入口が狭すぎ、そもそも入ってこれる人数が制作数で制限されています。
ごくごく限られた人だけが欲する、非常に尖った趣味嗜好の作品だったものが、「簡単には買えない」ということが独り歩きして、作品が神格化してしまった。
もともとインディーズソフビは、造形や世界観といった「作品そのもの」を見て好きになるものだったと思います。
何体作られたかは、作家さんのキャパの問題であり、買えるか買えないかは、あくまで結果でしかありません。
ところがいつの間にか、「簡単には手に入らない」という事実が前面に出るようになった。
作品を見て欲しくなる、ではなく、欲しくても買えなかった、という体験が語られる。
希少性は価値の一部であって、中心ではなかったはずなのに、気づけばその比重が大きくなりすぎていきました。
作品と所有体験と、それを巡る物語が、少しずつ噛み合わなくなっていったように思います。
その時点で、今僕が感じてる変化は致し方ないものだったのかもしれません。
僕が「ジャンル違い」に感じる作品たちは、満たされない所有欲が、新しい方向性となって現れたということなんだと思います。
身勝手に危惧しているのは、この新しい方向性を否定して、ジャンルそのものがつまらなくなった、終わったと感じてしまうことです。
ただ、それはジャンルが本当に終わったというより、自分の慣れ親しんだ楽しみ方が通用しなくなってきた、というだけなのかもしれません。
変化そのものよりも、変化についていけていない自分の感覚に、戸惑っているだけなのではないか。
10年前のインディーズソフビシーンと、現代のそれが、様変わりしているのは、むしろ歓迎すべきことなんじゃないか。
ジャンルが、次のステージへ向かう過渡期なのではないか。
そんな風に思いたい。
できれば、変化を裁く側ではなく、もっと単純に、もっとハッピーに、ただ趣味として楽しめる位置に、戻っていたいですね。
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