前作、世間への影響が危惧され、公開前に警告文が出るなど、かなりセンセーショナルな内容だったジョーカーの続編を見てきました。
製作費は倍増され、期待された本作でしたが、公開されるやいなや、酷評の嵐で、アメコミ原作映画で最も低評価の集まった作品のひとつとして数えられています。
酷評の内容としては、前作とは異なり、予告の無かったミュージカル要素が不満点として上がっており、バッサリと不要と断言する意見も。内容そのものも、アーサーの行く末、その結末に、前作のファンの期待に応えなれなかったようです。
ある意味、怖いもの見たさで見てきましたが、逆張りでもなんでもなく、個人的な感想としては、前作のアンサーとしてパーフェクト、よくできた映画と思いました。とは言うものの、面白い映画か? と問われると苦笑いを浮かべてしまいます。世間の低評価もやむ無し、と感じました。
以下ネタバレ有り
冒頭から、問題の最初のミュージカルシーンまでの映画の没入感は、凄まじいものがあります。
前作の事の顛末をカートゥーンムービーで簡潔に説明。あくまで、アーサーとジョーカーは別と言う事、それは裁判での精神鑑定に焦点が当てられる後の展開を示唆していますし、ジョーカーはアーサーと関係なく世間の期待によって創り上げられた虚像であることが暗示されています。
しかし、冒頭の収監されたアーサーの、異形にして美しい痩せた肉体、物言わぬ不気味さは、観客が期待していた悪のカリスマ、ジョーカーそのものです。
映像クオリティが高く、ワンカットワンカットがとても見応えあり、どこを切り取っても駄作中の駄作という世間の評判が信じられませんでした。
レディ・ガガが登場して、彼女が悪い化学反応をしたのか? と予想してましたが、そんなこともなく、彼女の演技にも違和感感じません。
問題のミュージカルシーンが始まり、合点がつきます。
これは酷い……。嘘だろ、そんな……馬鹿な、台無しじゃないか。
あまりにも唐突で、直前までの映画のトーンと噛み合っていません。役者の歌の巧さすらもシュールに感じられます。背中に冷や汗を感じてしまうほど、映画として滑稽なほど滑り倒しています。なんで、こんなことをしたんだろう? パニック状態です。
しかも、その後もミュージカルシーンが執拗に繰り返させます。ハーレクインと恋に落ちて、浮かれた心情を表現? 現実と虚構の境を曖昧にする表現? なんで、なんで、こんな……。
合理的な演出意図を模索しますが、どう考えても、良い方法とは思えません。
ミュージカルの中にも、アーサーがインタビュー中に唐突に歌い出すシーンや、妄想の舞台でハーレクインとデュエットして撃たれるシーンなど、良いものもあります。それだけで良いのでは???
お話が後半に行くに連れて、アーサーはジョーカーではなく、一人ぼっちの弱い情けない、面白くともなんともない人間であることが、わかってきます。それは前作でもわかっていたことで、世間が望んだダークヒーロー、ジョーカーは民衆が勝手に望んだ幻想でした。
つまり、ミュージカルシーンが滑っていることは、製作者側の意図ではないか。アーサーがジョーカーではない、ただのつまらない人間であることを、アーサーが笑えないジョークで場が凍ってしまうかのような、ああゆう気まずい瞬間を表現しているのではないか……、繰り返し繰り返しミュージカルシーンが挿入されるのは、笑えないジョークを繰り返して、なんとか苦笑いだけでももらおうとする寒さなのではないか……そう思わないとやってられんわ!
ストーリーに関する、観客の期待の裏切りは、まさしくハーレクインが抱いたアーサーへの失望です。彼女は本来のアーサーに魅力なんて感じていなくて、世間が勝手に祭り立てたジョーカーに恋していたんですね。
ハーレクインが、裕福な家庭に生まれ、どういった苦悩があって、ジョーカーに傾倒していったのか、詳しく描かれていない点は不満点かもしれません。でも、それは我々もそう。アーサーがジョーカーとして、世間の馬鹿にした連中をボコボコにして、スカッとしたかったんだろう? それがお望みだんたんだろう?
フォリ・ア・ドゥというのは、ふたり狂いを意味し、仏語で同じ妄想を複数人で共有する精神障害のことを指すそうですが、アーサーとリーの間には、ロマンティックな共感性はなく、ただただ、可哀想なアーサーという印象でした。ジョーカーというダークヒーローの登場に妄執していたのは、群衆たちで、フォリ・ア・ドゥという精神疾患にうかされていたのは、我々観客達です。
アーサーは、リーとの電話越しの会話で、リーは自殺するように銃をこめかみに押し当てていましたが、その後、前作の印象的な階段の場所で再開しています。そのシーンは都合良すぎる気がしますし、アーサーの妄想だったのでは、と自分は解釈しています。
ラストシーン、勝手にカルト教祖に祭り上げられたジョーカーは、シンパの受刑者から失望されて、あのラストを迎えます。その背後で、受刑者はナイフで口を切り裂いているのがおぼろげに見えます。ジョーカーとは個人を指すのではなく、感染する思想のようなもの、ということが暗示されているように感じます。どんな人間もジョーカーになりうる。ラストのどこが衝撃的なんだ? って思った人は、このメッセージの恐ろしさを読み取ってないのではないでしょうか。
追記:監督自ら、続編を考えていなかったが、あまりにも前作の影響が大きく、実際ジョーカーに感化されて犯罪行為に走る人も出てきてしまい、その人向けに今作を作ったという経緯と、他の感想にそんな0.数%の頭悪い人間向けに作るな、多くの観客は前作でそのメッセージを受け取っているので、今作の中の出来事はわかりきったことで、退屈の連続だった、という感想を読みました。なるほど、その感想には、ぐうの音も出ない……。