北野武監督最新作。構想三十年。故黒澤明監督にも生前期待されていたそうな。
歴史上謎の多い本能寺の変を、男と男のオッスオッスベタベタの愛憎という人間臭い感情でまとめてあり、荒唐無稽、無茶苦茶な部分もあるのですが、そんなのありえんでしょ、とは言えないのは、脚本と演者の力量が為せる技なんでしょうか。
北野武監督作品ということで、暴力的描写がキレキレで、痛そうなシーンは思わず映画館のシートの中に身を縮こませてしまいます。
すっきりとしたエンタメではなく、最後までモヤモヤする感じですが、見応えあり良い映画でした。それでいてアート全振りの前衛的作品のような眠くなる感じはなく、ちょっと特撮ヒーロー映画を思わせるキッチュな部分もあり、このシーン必要なのか? と思うようなシュールなシーンが緩急あって面白かったりしました。
以下ネタバレ。
武士道における神聖化された死が、恐ろしく陳腐なものに描写されているように感じました。
自分の生き死にはめちゃくちゃ執着するくせに、他人の死に様を軽んじる描写が多いです。自分と同格かそれ以上の人間は大事に、家来や民、女性は簡単に死んでいきます。
自分語りになってしまうのですが、前職の上司が司馬遼太郎などの歴史小説が大好きで、常々口にしていたのは、昔のほうが人間に芯があって良かった。裏表なく、目標に一生懸命だった。今の人間はなよなよしすぎている。……みたいな事を言ってました。こういうことを言う人間にしては珍しく、上司は仕事ができましたし、厳しいけれど公平な人でした。
でも、僕は昔の人が良い人だったとは微塵も思ってませんでした。精神性で失われたものもあるでしょうし、機械化され環境汚染などの負の側面もあるものの、今のほうがずっと豊かで、ずっと一人ひとりの幸福度は上がっていると思ってます。
この映画で語られるのは、フィクションの世界で聖人化されている侍、武将、立身出世、武士道に生きるもの達が如何にクソ畜生共だったかを語っています。
その描写は行き過ぎている部分もありますが、現代に生きる我々が、政府に対する不満をXでぶち撒けている程度には、当時もクソだったに違いありません。
ましてや、当時と今では考え方がまったく違います。民度もかなり違ったに違いないです。どこの国とはいいませんが、いわゆる近代国家になっていく過程の中で、どれだけの非道・悲劇が行われてきたか。日本だけがそうでなかったということはなく、この映画の中で描かれることは、一部真理ではなかろうかと思うのです。
首という武士にとって手柄の証明となるものに対して、執着する者たちの滑稽さ。これだけの犠牲を生んで、得たものにどれだけの価値があるのでしょうか。今とは価値観も違うかもしれませんけど、やっぱり僕としては、「現代に生まれてよかった……」 という感想と、なんか妙にお尻がムズムズして映画館を後にしました。