エッセイ「電遊奇譚」がとても良かったので、続けて初の小説を読了しました。
読んでいて、目頭が熱くなり、ページを繰る指が震えることがありましたが、自分は期待した程ではない、どちらかと言うと気に入らない小説でした。この小説の中に出てくる作家の作品の1/5も読めていませんし、読んだ作品についても作中の言葉を借りるなら「クソみたいな読み」しかできていない人間の評価ですが。
とある作家が、この著者の才能を「ガチャでいうならSRクラス」と評したそうなんですが、作家が言うのなら尚更褒め言葉に思えなかったので、ジュネレーションギャップもあるのかもしれませんね。
電遊奇譚はエッセイにしては話が面白すぎて、本著は小説にしては話がつまらなかった。
これが率直な感想です。
自伝的小説なので事実を元に構成されているのでしょうが、もうちょっと電遊奇譚から話を大胆に変更していても良かったのではないか、と思うのです。
この欠点は、おそらく編集のほうでも把握しているようで、その証左として帯のコピーを見てください。
「母がリビングで首を吊ったとき、僕は自室で宇宙艦隊を率いていた」
この帯を見た時、電遊奇譚を読んだ僕は「こう来たか!」と唸ってしまいました。話をコンパクトにまとめれるし、現実とゲーム世界のギャップも面白い。どちらが小説的に面白く、キャッチーかは帯に採用されている時点で明白です。
実際、本で語られる内容は、「母がリビングで首を吊ったとき、僕は自室でゲームをしていたが、タイトルは覚えていない」でした。
母の死が衝撃的すぎて、ゲームのタイトルを忘れてしまったということでもなく、著者の人生の中で取るに足らないタイトルだったという印象で、残酷ですが小説としてはあまり意味のない展開に思えてなりませんでした。
本著の何%が虚構なのかわかりませんが、面白くする為に著者の人生にとって大事な思い出であっても改変し、99%虚構にしたって良いと僕は思います。それが物書きってものではないでしょうか。
もう一つ、内容に対して致命的な言葉選びのミスがあります。
劇中の中で、もう顔も覚えていない最初の恋人の妄想が現れて、小説の内容にケチを付け、著者が勝手なことをするな、と注意する場面があります。小説の私、小説を書く私が層になって折り重なるという部分がこの小説の挑戦だと思うんですけど、関西人のノリで「殺すぞ」と言うんです。
「殺すぞ」。
あまりにも無遠慮な言葉だとは思いませんか。
母の自死。自分の自死。その重みが軽んじられてしまいます。
淡麗な文章に反して、普段の言動は粗いと本文の中では語られますが、言葉のチョイスはもっと神経質にして欲しかった。
僕が他に適当な言葉を探すなら、「消すぞ」「消去するぞ」「デリートするぞ」はどうでしょうか。「電子的な存在」に対しての切り返しとして適当だし、またタイトルの「コマンドを入力しろ」にも符号します。
この作品自体の評価は僕の中ではこうなりましたが、次回作100%フィクションの小説を期待したいと思います。
ところで、鍋のスープは白味噌仕立てだったというのは、なにか有名な小説の一文に掛かっているのでしょうか?