Twitterのタイムラインとインスタグラムが絶賛の嵐で、居ても立ってもいられなくなり、レイトショーで見にいきました!
まわりが良い評価ばかりの場合、粗探しになってしまうのですが、文句の付け所がありませんでした!
以下、ネタバレになりますので、映画をご覧になってから読んでいただくと有り難いです!
◯プロローグ
時は、1988年。主人公の少年は、母親の最後を看取ることになります。このシーンで重要なのは、主人公の持っている母親が昔良く聞いたという往年のヒットチューンが収録されたカセットテープとソニーのウォークマン。「天使のようだった」と母が言う不在の父(死んでしまった?)。母親のプレゼント小包。最後の願いとして、「手を握って」と言われたのに主人公は、現実を受け入れることができず、母親の手を握ることができませんでした。
病院を飛び出した瞬間、彼は宇宙窃盗輸入団「ラヴァジャーズ」の宇宙船に連れさらわれてしまうのです。
正直、このシーンは初見では不満でした。
間のとり方も、せかせかしていますし、何で彼がこのタイミングで連れさらわれてしまうのか、と疑問を感じました。しかし、最後まで見ていると、冒頭の少ないシーンにこれでもか! というほど伏線が張られていて、物語が進むにつれて鮮やかに解消されていくのです。
◯26年後
そして26年後、主人公の少年ピーター・クイルはスターロード(星の王)を自称し、犯罪紛いの荒事と女性関係も奔放な、立派なアウトローとなります。
26年後……2014年です。つまり、この映画は現実とリンクして、実は遠くの宇宙の彼方で起こっている実際の出来事なんじゃないだろうか、と夢想できる演出となっています。
なんで1988年なんだろう、と考え歴史に詳しい訳ではないので軽くググッてみると、当時はアメリカとソ連の冷戦状態でした。1989年にマルタ島で集結を迎えるので、ムード的にはそれほど緊迫してなかったと思いますが……。
◯リップ・ヴァン・ウィンクル
リップ・ヴァン・ウィンクルは、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングの短編小説集「スケッチブック」の一遍です。
人はいいけど、うだつのあがらない木こりのリップ・ヴァン・ウィンクルは、毎日のように妻にガミガミと叱られ、逃げるように森へと仕事に出かけます。森の奥深くで、不思議な男たちに出会い、酒盛りをして寝てしまいます。リップが眠りから目覚め、森から街に帰ってくると、親しかった友人たちは年老いてリップの事が解りませんし、家に帰ると恐ろしかった妻は既に亡くなっていました。リップが寝ている間に20年も過ぎていたのです。
このお話は、お話の類似性から森鴎外が翻訳した際には、「新世界の浦島」とタイトルが付けられ、アメリカに浦島太郎が紹介される際には、「日本のリップ・ヴァン・ウィンクル」と言われました。
リップ・ヴァン・ウィンクルでの20年という時間の消失は、何か嫌なこと……恐ろしい妻や仕事……戦争や災害などから、寝ている間にさっぱり終わらせて、回避してしまいたいという欲求の現れとして考える事ができます。
*ちなみに、「スケッチブック」にはジョニー・デップ主演の「スリーピー・ホロウ」の原作も収録されています。
◯クイルにとっての26年の消失
前振りが長くなってしまいましたが、1988年に宇宙人に誘拐されたことで、クイルは地球で体験するはずの26年間を消失してしまうことになります。その結果、残るのは劇中を彩る母親の形見でもある音楽です。
時代の流れは自然と流れているわけではなく、ビジネス的な思惑で早められてしまう事があります。誰かが決めた今年の流行色だとか、毎年毎年買い替え需要を喚起するためのモデルチェンジだとか。
そんな中で、変わらぬ価値のあるもの……地球文明よりも遥かに先を行く異星文明の中で、唯一勝るとも劣らないものが、26年も前のヒットソングなんです。
◯1980年代映画のノリ
僕は最初、この感じをB級映画のようだと思ったのですが、これはどうも1980年台の映画のノリと表現した方が正しい気がします。
この映画、どこか荒々しい感じがして、芋っぽいところがあります。
例えば、タイトルクレジットのシーンもそうです。
CGが駆使されているのに、肌をピンクや青や緑に染めただけの宇宙人というのもそうです。
宇宙人たちは一体、何語を話しているんだろう、と不思議な気持ちになるのもこの時代のSF映画にありがちだと思うのですが。
◯特別な力も持たない主人公
実は持たない訳ではないのですが、他の仲間たちと比べてクイルは特別優れた力を持たないというところがいいですね。
機転とゴリ押しで状況を打開していく主人公。絶体絶命のピンチのダンスシーンなんて最高でしたね。絶対やっちゃいけないシリアスなシーンなのに……。
◯何度も見たくなる
最初は固有名詞が多くて、意味がわからないと思います。登場人物も多く、相関関係も複雑ですよね。ガモーラとネビュラ姉妹は、お互い血が繋がっておらず、サノスの養女で改造され、同盟の証としてロナンの養女になった……とか。スターウォーズのように、マニア検定が出てきそうな感じがしますよ。
アートワークも魅力的です。街を歩く人々の衣装なんて、モブに与えるには勿体無いくらいのカッコよさです。これはBDを買って何度も見たくなります。メイキング映像も気になりますね!
◯まとめ
とりとめなく書きましたが、本当に楽しい映画でした。
主人公であるクイルに焦点をあてましたが、その他のキャラクターも大変魅力的でした。
敵のロナンも復讐のための行動と考えると、妻と娘の復讐のため戦うドラックスと紙一重と言えます。
マスコットキャラクターと思っていたロケットは、非常に狡猾な性格ですが、実は寂しさを抱えていて人物描写は分厚いです。
チラチラと引きの長くて、真価を発揮したとき余りの鮮やかさに度肝を抜かれた、ヨンドゥの口笛で操作できるファンネルっぽい弓矢。
そして、一番良かったのは何と言ってもグルードというキャラクターです。「わたしはグルード」しか喋る事ができないキャラクターで、ビジュアルも微妙に感じていましたが、映画を見終わると、彼の愛くるしさにメロメロです。
次回作は2017年予定、待ち遠しいです。