電子書籍化を待って購入した、小説版デス・ストランディングを読了しました。知っている物語をもう一度読み直すので、自分の性格上、読むのに時間がかかりましたが、面白かったです。
面白そうだけどゲームは遊べない人、ゲームを途中で諦めてしまった人、ゲームをクリアしたけどもう少し内容を深く理解したい人にも、おすすめできる内容でした。
以下ネタバレ。
概ね、原作となるゲームを元とする、正当なノベライズと言える内容でした。一部イベント、サイドミッションの部分は端折られていましたが、ゲームではややサービス精神過剰に思えた部分もあったので、小説版の方がシナリオ進行はスムーズと感じました。
一方で、ゲームでは一番重要かつ革新的だった移動システムやストランドシステムは、ばっさりカットされていました。あの広大な大地で一人歩いている、寂しさと高揚感はゲームだけのものでした。
小説版で平行世界のサムが登場しないのは、むしろ良かったのかもしれません。デス・ストランディングは、ロンドン橋のマイ・フェア・レディ……人柱の物語なので、たった一人で北米大陸の西岸というゴルゴダの丘へ向かって、アメリカ再建という重い十字架を背負わされる、サムという名のメシアという構図が明確になったようにも感じました。
小説ならではの描写といえば、サムの配達を待つノットシティや中継地点、プレッパーズの人々の心情が描かれていたことです。それとサムの妻のルーシーのことも、ゲームよりも詳細に描かれていました。
なによりサムの心情がゲームよりも深く理解できた気がします。僕はサムがアメリカ再建の任務に就いたのって、頼まれたから仕方なく、というのが一番の理由だと思っていました。小説では、BBの廃棄を回避するためが一番の理由だったと書かれていました。この任務中は、BBは生き延びることができるんだって。サムは最初からBBのことを装備だなんて思ってなかったし、執着していたんですね!
ゲームで理由がわからなかった、サムが伝説の配達人と呼ばれるようになった具体的なエピソードは小説でも出てきませんでした。それとは別の気づきとして、サムの体には無数の手形が浮き出てきているんですけど、これは帰還者が死ぬことができずビーチから帰ってくるときに出てくる痣なんですが、小説では帰還するたびに一つ増えるというふうな描写がされていました。サムの体には無数の手形がありますが、それだけサムが死んでビーチから帰ってきたということ。サムはどこでそれだけ死んだんでしょうか? BTに襲われてなんどもヴォイドアウトしたとも思えません。僕の推測なんですけど、サムは何度も自殺を図ったんじゃないでしょうか? 回りの人間と同じように死ねないだろうか、自分は変ではないだろうかって。
ゲームでは、ヒッグスにあれだけのことをやられて、命まではとらなかったフラジャイルに、とても素晴らしい人だと称賛しましたが、やっぱりヒッグスに天罰が降らなかったことに、わだかまりがありました。小説でも結末は同じなんですけど、小説には能力者達が見る絶滅夢の具体的な描写があって、それって無限に続くビーチを一人延々と彷徨うというものなんですね。そう、最初のエンドロールのシーンです。「未完成!」「バグなんじゃないのか?!」なんてサムのメタ発言がでて、ギャグじゃないのか? と思っていました。ヒッグスは絶滅夢が怖かったみたいなんですけど、フラジャイルによってビーチに一人置き去りにされ、夢と同じ境遇に。十分な罰ではないでしょうか。
小説で、どんな風に描写されるか気になったアイテムがあります。
ひとつはフラジャイルの傘。
僕の予想……バラバラになった3Dポリゴンみたいな傘、未来の船の帆のような傘、脱構築主義の有名建築家がデザインしたような傘……。
小説の描写……星の形の傘、アシンメトリーな傘
うーん……やけにあっさりしていますね。小説だけ読んで、あの形が連想できない……。
アシンメトリーな傘……センズかな。
先日届いた設定資料本のアート・オブ・デス・ストランディングには、このように説明されていました。
割れたガラスをイメージした傘。
うおー、壊れ物=フラジャイルが持つ傘として、バッチリじゃないですか! 著者の野島一人さんは、コジマプロダクションのスタッフなのに、なんでこんな素敵な表現を使わなかったんでしょう? たぶん、ゲーム開発って分業化されすぎていて、アートとストーリーとであんまり情報共有できていなかったのかもしれませんね。
もうひとつは、クリプトビオシスの味です。生と死の間であるビーチ由来の芋虫状の生物。あの気味の悪い見た目ですから、どんな味がするんでしょう。サム曰く、美味しくないけど食べ慣れると結構イケる味らしいです。造血効果があるので、ちょっとドぎつい味なんじゃないかしら。
小説の描写……
まずい。
そっか……不味いんだね……。