
今週のお題「買ってよかった2024」
身勝手に求めていたものではありませんが、とても良い作品だと思いました。
最初の10ページを読んで、一度、僕はそっと本を閉じました。
「月刊コロコロコミック」「別冊コロコロコミックスペシャル」に連載された代表作『LAMPO-THE HYPERSONIC BOY-』を筆頭に、卓越した画力と、高次元の空間表現をベースとした躍動感あふれるアクションシーンが高く評価される漫画家・上山徹郎。
その一方で、掲載誌と作風のミスマッチ、こだわりのあまりに遅筆にて寡作のため、マニアからの評価に反して、一般的に知られることなく、不遇の作家という印象が持たれているようです。

その実力に対して、世間の認知度が低すぎる、という想いは業界関係者も感じていたようで、本著発行のMANGATRIX社は、すでに絶版の作品の復刊クラウドファンディングプロジェクト(これは翻訳によって海外の読者に”発見”させる狙いもあったようです)の後、作家の制作速度を鑑みて、連載誌の締切に追われることを回避し、より作家性を増す意味も含めてでしょう、クラウドファンディングで、バンド・デシネ(フランスの漫画、描き下ろし発行が一般的)のように描き下ろしという方式での新作発表という形をとることになったのです。

ティコの冒険は、そんな上山徹郎さんの最新作となります。
ハードカバー書籍としての発刊は、クラウドファンディング限定のようですが、電子書籍版が一般発売されるようです。

まず、絵柄についてですが、そもそもデビュー誌がコロコロということで、上山徹郎さんの絵は、昭和の美形的な造形で、眉が太く肉感的なキャラクターを描かれていました。
その後の作品、『隻眼獣ミツヨシ』はその絵柄のまま、ゲーム・アニメ系萌え雑誌の月刊コミック電撃大王にて連載。掲載誌に合わせて、主要キャラクターを女性に絞るなど工夫するも、そのキャラクター造形は掲載誌にはあまりマッチしてませんでした(自分は硬派気取ってたので、コミック電撃大王を買わず、隻眼獣ミツヨシ読んだことないんですよね。ミツヨシ完結編は掲載誌のJC.COMをブックオフで見つけて買って、1話だけ読んだことがあります。主人公ミツヨシは豊満ムチムチ系の熟女で、これでロリロリな萌え系漫画ラインナップに紛らせたのは異物感あったのでは。こちらも復刊プロジェクトが近日始まるようです。楽しみ!)。
あくまで勝手な推測ですが、たぶんその時、自分の絵柄と、現在/未来でメインストリームとなる絵嗜好の乖離を感じたのではないでしょうか。大きく絵柄が変わります。
自分のようなLANPOのころからのファンだと、少し寂しくもありますが、これは作家が生き残りを賭けた決断ですので、安易に元の絵柄に戻すべきとは言えないように思ってます。LAMPO以後、女性主人公が続くので、作家の嗜好もあるのかしら?
一方で、本著のサンプルページでは、パワードスーツを着た狩人と始祖鳥のような姿の竜との戦いが掲載されていて、「どうやら今回はバトル漫画みたいだ!」 と思いました。
そして、記事冒頭に戻ります。
正直なところ、最初に一度本を閉じてしまったのは、失望したからでした。
LAMPOで思い出すのは、皆川亮二(スプリガン、ARMS作画)もかくやの高い空間表現と、流れるような動きを捉えたコマ展開。
主人公ランポが、出身地である島の急峻な土地柄の手狭い住宅地の中、敵ロボットのキリンジに追われて、ヒロインのヨシノと共に逃走するシーン。はち切れんばかりの自身のパワーを駆使して、人間とは思えない跳躍をみせ、読者の頬に空を切る圧すら感じる圧巻の描写です。
一方、本作冒頭のアクションシーン中では、背景が描かれず効果線だけのコマが多く、キャラクターのアップがアクションシーン中で続いて、どういう動きなのかよくわかりません。パワードスーツの造形ディテール(もっとロボロボしいのがいいな……)など、目についてしまいます。
続く塾のシーンでは、同じようなバストアップの構図が続いて、コミカルなシーンなのにどこか退屈に感じてしまいます。
一度コーヒーを飲んでリフレッシュ、クラファンサイトでプロジェクトページを読み直します。
この作品、漫画家自らがセリフのフォントまで指定しているようです。たしかに、あまり他で見ない丸ゴシック体のフォントで、なんだか違和感を感じていました。それは作者が作りたい世界観に合わせたフォントで、僕が読みたい世界観とは別物なんだ、ということなんでしょう。
もう一度はじめから読み直します。
最後まで通して読んで、
お話はメチャクチャ良いな
と思いました。
あくまで自分の解釈ですが、ネタバレありで物語を解説したいと思います。
なので、読んでない人はここまでで読むのをやめてください。
以下を読むかは、読んでない人には先入観を植え付けてしまうかもしれません。
自己判断でお願いします。
ネタバレありです
社会から強いられて弱く守れている立場にある女の子が、自分の意思で自立した女性へと成長する物語だと思いました。つまり成長と自立がテーマと思いました。
主人公の少女ティコは、月から来た女の子です。月は科学技術が発達して、生活するのになんの苦労も必要なしのようです。どういう理由があったのか、ティコは地球の塾に通うことになりますが、自分としては「自分なんか何も知らないし邪魔なのでは」 と遠慮します。学ぶチャンスをそんな風にあっさりと断れるのは、月がそんな風に勉強しなくても、無知のまま、弱いままでも許される世界だからです。生活がカツカツしてないので、切羽詰まって知識や技術を得ようという意思が無自覚に薄弱なんですね。
塾へ通うことは、守られ閉鎖した世界から踏み出して、自分の力で自立することなんですね。
もう一人の主人公の少女ミイは、山の民で竜被害から人里を守る狩人です。ティコとは真逆、過酷な世界を生きることを余儀なくされています。もしかすると孤児なのかもしれません。
面白いことに、ミイが塾へ行かされるのは、ティコが塾へ行くこととは意味合いが異なるんですね。ミイは塾生から嫌われるようにイタズラばかりするんですけど、これは塾を辞めたいからです。生活することが大変で、勉強なんて贅沢だし時間がもったいない。早く一人前であるということ、大人であるということを認めてもらいたいという状態なんです。
月の民であるティコと山の民であるミイ、二人の少女の生い立ちの違いによって、塾に通うことの意味合いが違うのが、とても面白いです。
現代でいうと、ティコは「引きこもり」、ミイは「ヤンキー」という属性になるでしょうか。
ティコが月から来たというのは、かぐや姫を連想します(景品としての女性という活動家が嫌う属性。王子様からの救いを求めるだけの囚われの姫のイメージ。はっきり意見せず不可能な条件を提示することで月へ帰ることが望まない結婚を拒否することになる。それが当時の女性の生き方だったのでしょう)し、魔法少女風の衣装で、ミイの狩人姿の対比となってます。
ミイの身勝手なイタズラを受けても、印象を悪くなって嫌いにならず、落とした竜笛を返そうとすることは、彼女の無知さ故の純真無垢な優しさを象徴しています。その後、その無知さで不用意に笛を鳴らし、育児中の竜を刺激してしまいうことになるのです。
ミイのパワードスーツ姿と通常状態の肩幅・シルエットが違いすぎて、作画崩壊的なギャグ? と思いましたが、これはミイが思い描く強い大人の姿の反映なのだと思いました。戦隊ヒーローのような姿なのも、幼い人間の憧れの姿ということを強調しているように感じます。
普通の狩猟では、ハンターは獲物から気配を隠して、背後から不意打ちしたほうが成功する確率が高いはず。しかし、最初のバトルシーンでは、背後からミイは忍び寄るも、謎の輪っか(これがなんなのか浅学の自分にはわかりませんでした)を展開させ、決闘のように場を仕切ると、正面から槍を突き刺します。この一連の流れは、人間の世界を侵食してくる害獣の排除という意味合いよりも、なにかの通過儀礼儀式めいた印象を受けます。
ここでもティコとミイがお互い別ベクトルで、まだ幼く未熟ということを示唆しています。
ティコとミイはどことなく百合関係を匂わせています。後の展開からみて、ティコは少女から母へ、ミイは少年から父への成長を暗喩しています。
誤って殺してしまった竜の親の代わりに、遺児となった竜のヒナを育てるということは、ティコとミイの関係が結婚であり、竜のヒナは二人の子供となったということです。
父であるミイは、ヒナを育てる妻ティコの献身的な態度から、ただ反発して背伸びするばかりだった自身を内省し成長します。
母であるティコは、あまりに溺愛しすぎ、子離れできなくなっていた状態から、夫ミイが、あえて子を突き放し見守る姿を見て、子との適切な距離感を知り成長します。
竜駆除の部分は、今騒がれている鳥獣被害・動物愛護のお話とも通じる部分がありますが、少女同士の閉じた世界に対して、障害となる竜を男性のメタファーとして考えます。
竜の姿は、いわゆる爬虫類的な竜ではなく、始祖鳥的な姿をしていて、それは近代の研究成果によるアップデートされた姿と言えます。
ヒナは野生の竜の少し乱暴なチョッカイによって、親であるティコとミイ達人間を置いて一人立ちして行ってしまいます。
逆に差別的と思われるかもしれませんけど、女性の価値観も現代的にアップデートするべきではないか、というメッセージのようにも思われます。
いわゆる萌絵は、一部界隈からは性的搾取・女性蔑視として批判されます。
いわく、そういったコンテンツが性犯罪を増長させているとの主張です。
しかし、根拠となるようなデータが示されたことはなく、こういったオタクコンテンツの本場である日本は、性犯罪率が低いことで知られています。
それに対して、日本では性被害訴えることは恥という風潮があって、そのため声に上げることができないのだ、という反論があります。
仮にそうであれば、訴えることができない被害者が声をあげられるような国することこそが、先に優先すべき使命ではないでしょうか。自分もそういう人がいることで、自分たちの好きなコンテンツが弾圧されるようなことは困りますので、全力で協力しますよ。
被害にあっている人を救うことが目的なのではなく、潜在的な加害者の可能性のある者が属するコミュニティ全体の抹殺が目的となると、これは差別と呼ばれます。
自分が幸せではないから、お前たちも同じく不幸になれ、とばかりに愚痴ることで、満たされているのでしょうか。自分のテリトリーから一歩も出ないで、何が変わるでしょうか。安全な月側から口だけ出しているだけのように自分には思えます。自分の怒りや悲しみを糧にして生きても、この先で幸せにはなれるようには思えません。
……と夜勤へ向かう、クリスマスお一人様が何か言っております。

ミイの太ももムチムチやなぁ……!







