ちょっと古い話題ですが、品川にあるセイム ギャラリー(same gallery)では、2020年7月に「盗めるアート」展を開催されました。
展覧会は通常の展示と同様に7月9日(木)のオープニングレセプションから始まるが、翌日7月10日(金)の午前0時からはノーセキュリティーの上24時間無休で公開され、全ての作品を文字通り「盗む」ことができるという尖ったコンセプトを持っていました。
展示品は、盗んでも良いという前提とした作品つくりとなりますので、おそらく盗むことによって作品として完結、もしくは皮肉る作品となることを予想しましたが、当日は詰め寄る泥棒たち(おそらくアート作品として楽しもうという人は少数派だったように当日の写真からは思えます)によって、近隣の迷惑を考え開場時間を前倒し、即展示物が運び出されて初日で終了、展示物はメルカリなどに出品という世紀末な顛末となってしまいました。
まさか来場者の良心とモラルだけを拠り所に開催するとは思っていませんでしたので、このような結果になってしまって、結局話題つくりには成功したけど、盗むとアートの結びつきには失敗してしまったような気がします。
記憶に新しいのは、人々の感情を逆なでして、話題作りをしようとして浅はかさに大炎上してしまった表現の不自由展です。今回の盗めるアート展では、企画主催側というより作品を展示したアーティスト側にもう少し考えがあればと思うのです。
海外では、バンクシーがイギリス地下鉄車両にステンシルアートを描いて(もちろんこれは器物破損、違法行為です)、それを有名アーティストの仕業と知らない清掃員が掃除して消してしまいました。この落書きをのこしておけば、数千万円以上の価値があったでしょうし、観光名所にもなり経済効果は計り知れないものになったでしょう。でも、この行為のアート的な意味は、勤勉かつアート作品になど興味もない作業員が、価値のあるものを消してしまい、それを後から「もったいない」と非難する俗な価値観を皮肉ることで完成しています。作品として存在が失われたことで、アートとして意味を持つ。こんなふうにして、盗んだことで完成する作品を展示できれば、この個展は成功でした。
非難するばかりでは良くないので、素人の僕が考えた展示はこんな感じ。
アプローチは2つあって、展示物そのものを個展のコンセプトに沿うようにする。もうひとつは個展のルールをもっときちんと定めることです。
展示物そのものを個展のコンセプトに沿うようにするのはいくつか考えてみました。
ひとつは盗めないようにする。
これは語弊があるけど、盗めるなら盗んでみろ、という一種の挑戦にするということです。
超大きく・重くする。時間で崩壊・変化する。状態が不安定で保管が大変(氷でできているとか)。たとえば、ミューラルなどの壁画の場合は、移動が大変です。
大量生産する。
これも単純なアプローチで、盗む意味がないくらい大量に生産する。無くなっても在庫復活。インフレして給料日に貨幣の山で途方にくれる第一次世界大戦後のドイツのイメージ。アーティストの自己PRがわりにステッカーや名刺がわりとして配る。
価値を見出しにくいもの。
作家の不要なもの、変哲もないゴミ、概念などをアートとして展示する。汚くて持って帰りたくない。廃品回収させる。
ふたつめ。個展のルールをもっときちんと定めることについて。
この個展、盗むルールがあまりにもガバガバ。近隣住民に迷惑をかけない、盗めるのは1点までなど。盗むというより無料のガレージセール。作品は列をつくって行儀よく運び出されたとか。
おそらく、主催者側の狙いとしては盗むという行為の非日常性、犯罪に対する後ろめたさなどを来場者に楽しんで欲しいという思いがあったと思います。それならトコトン泥棒をロールプレイさせてあげるべきです。
たとえば、盗む際はアーティストに予告状を差し出す。警備員役を配置して、見つかったら盗難失敗など。ひとつのアトラクションとしてイベントを開催すればよかったのではないでしょうか。