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ブレードランナー2049の感想(後半ネタバレあり)

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フィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作としたリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」続編、「ブレードランナー2049」を見てきました。今回の監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ、「メッセージ」の監督さんみたいですね。

前作ブレードランナーが原作から設定や展開が異なり、「舞台設定を拝借した」という感じでしたので、今回もそういう感じなのかな? と思って監督交代も安心していました。自分自身、前作はうろ覚えでしたし、前日談のアニメーションだけ見て鑑賞しましたが、その状態でも十分楽しめました。追記:製作総指揮はリドリー・スコットなんですね。あと、短編も全部で3つあるようです。リサーチ不足。

youtu.be

 

人造人間レプリカントが製造された近未来。レプリカントは人間と同じ見た目、自我を持ちますが、逃亡したり人類を害したりするような思想をもった者を処分するための捜査官「ブレードランナー」のお話です。

 

映像、音楽、ストーリー、演出、とても素晴らしかったです。

3時間近い長い映画ですが、一瞬も退屈することなかったです。

漫然とした鑑賞だと、何が言いたいのかわからない……となりそうですし、勧善懲悪のわかりやすいエンターテイメント作品でもありませんでしたが、とても好きな映画になりました。

 

以下ネタバレあり。

鑑賞していない人はここまでにしておいてください。

 

 

この映画は、映画館で見て良かったと思いました。

劇中、重低音が強いBGMが全体を通して流れるのですが、別に4Dシアターって訳ではないのですが、臨場感が凄かったです。

 

今回の主人公は捜査官のKです。

彼はレプリカントで、人間からいわれなき誹謗にさらされながら、同族であるレプリカントの処分に当たるブレードランナーとしての職務が与えられています。

彼は捜査中に、白骨化したレプリカント女性の死体を見つけます。

検死の結果、その死体は出産により死亡したことが判明します。

 

2049年の社会構造が崩壊する事実でした。

なぜなら受胎は人間のみの聖域であり、レプリカントとの唯一の差異だったからです。

人間と人造人間はもはや区別できなくなり、人間による「製造」という過程を経ずに、種として存続できる。それが可能であれば、レプリカントは人間の支配から解き放たれることができます。

人間より優れた身体能力や頭脳をもつレプリカントなので、その立場は逆転し人類は駆逐されてしまうに違いありません。

Kの上司である「マダム」は、この事実の隠蔽、生まれた子供の処分を「K」にオーダーします。

 

その一方で、レプリカントの製造をてがけているウォレス社(前作のタイレル社は倒産した)は、効率的なレプリカントの製造のために、その子供の確保を画策してKに接触します。ここで大事なのは、人類にとってはマダムもウォレスも悪ではないのです。どちらも人類のためを思って行動しています。ウォレスの風貌が十字架を背負ったあの人風なのは、仕組まれた演出だと思います。レプリカントを犠牲にして、人類の発展に貢献するという罪を背負う救世主としてイメージしました。

 

そしてKは妊婦が発掘された木の根元に彫られた数字が、自分の記憶にあるものであるのに気づき、自分がその子供ではないか……と疑い、捜査を続けることになるのです。

 

このお話は、ありたいていに言ってしまえば、「K」の自分探しのお話です。

自分はレプリカントという製造されたマスプロ品なのか、それとも選ばれた者なのか。自分がただの作り物ならば、ホログラム投影されたAIのバーチャルガールフレンドの愛もまた真実なのではないか。彼女と娼婦と二重投影されたセックスは、愛ゆえにか肉欲ゆえなのか。ジョイというAIには、ユーザーの思いに答えて行動するという「機能」が宣伝されています。ジョイの行動はすべて、Kの思いに答えた形なのか……「愛してる」「貴方は特別な人だと思っていた」……、それともAIに芽生えた自由意思なのか。これは深淵なる疑問です。レプリカントにももまた同じ疑問が付きまとうからです。

 

レプリカントにとって、とても残酷なお話です。

劇中、デッカードとレイチェルが恋に落ちたことは、タイレル社による製造過程において計画されていた事が示唆されます。つまり、レプリカントの受胎は奇跡ではなかったということです(この部分はウォレスの見解で、事実は鑑賞者の手に委ねるという感じ)。

 

ウォレス社に捕まったデッカード、離れ離れになったKを助けたのは、「子供」を旗印として革命を起こそうとするレプリカント集団ででした。彼らはデッカードから革命軍の所在がばれるのを阻止するために、デッカードの殺害をKに指令します。Kはこの時、デッカードが自分の父親だと確信していました。

そんな展開ありかよ?! と混乱している状態に、矢継ぎ早に「子供」は男の子ではなく、女の子だったという事実が明らかになります。ここの流れは圧巻でした。

Kは人間だけではなく、同族のレプリカントにとっても「子供」の囮という酷い扱いをされていたという哀しい事実。

(「お前が子供だと思っていた?」っていう問いかけに、「ねぇねぇ、今どんな気持ち?」のミームを思い出し、ちょっとクスっとしてしまったのは、日本の人だけでしょう)

dic.pixiv.net

 

この時点で、Kは晴れて自由の身になったんだと思います。

自分の意思でそれからの事を考えた。

そして、巨大広告のピンク色のジョイと、破壊されたジョイは、違う存在であると確信を得た。作り物でも、魂があると。

 

Kは、デッカードを輸送中(この部分がわからなかったです。どこへ輸送していたんだろう?)のウォレスの秘書ラブを襲撃します(そういえば、レイチェルはタイレルの秘書でしたね)。

 

ここも哀しいシーンです。

普通のエンターテイメント作品だったら、最後の敵役はウォレスだったと思います。しかし、愛(ラブ)と名付けられたレプリカントと戦うのです。ウォレスは多分盲目で、小型ドローンのカメラ越しに世界を見ます。それがKの喜び(ジョイ)というホログラムのヴァーチャルガールフレンドと関係と、ウォレスとラブとの関係とダブりました。Kとウォレス、ジョイとラブは、光と影の関係と言えます。そういえば、ジョイを踏み砕いたのはラブでした。ニセモノのレイチェルを撃ち殺したのも、またラブでした。彼女もまた、Kと同じく自分は特別な存在と思いたかった。

 

デッカードを救出したKは、ラブによる手傷から海に流されかけ、それをデッカードが救います。救ったデッカードがKに「(救わずに)死なせてくれればよかったのに」というセリフを言いますが、実はKも同じ心情だったんじゃないか、って僕は思いました。

 

Kはデッカードを娘の元に送り届けます。

どうしてKが彼女が娘だって気がついたのかは、おそらく自分の記憶を彼女に見せた時に、彼女がその記憶を見て泣いたからでしょうね。自身の懐かしい記憶と、自分の囮の役目を背負わされたKに対する、懺悔の気持ちだったのでしょう。記憶を覗くスコープから一瞬、Kを見るあの表情が、僕にはそう思えたのです。

 

Kは死んだのか? 僕は死んでないと思います。

海にながされて、デッカードに救われた時、「死なせてくれればよかったのに」って、Kも同じく思っていたなら、死亡回避フラグに思えるからです。

映画のその後を妄想するくらい、僕の勝手でしょう。

哀しい話だけれど、レプリカント、ブレードランナー、「子供」の囮という役割から解き放たれたKに、僕は救いを見ました。

 

エンドロールでの配役に「K」とだけクレジットされ「ジョー」になっていなかったことに、凄く泣けました。

 

ひとつ、こうすれば、より良かったと思う点は、人間の死人が一人もいなければ、よりレプリカント、人造物の悲嘆が表現されたのでは、と思いました。そうすれば、犬が死ななかったのは、本物だからってなりますしね。