踊る大捜査線のスピンオフ映画、「室井慎次 敗れざる者」の後編となる「室井慎次 生き続ける者」を観てきました。
踊るシリーズにわか勢の僕ですが、前編の敗れざる者は予想外に楽しめて、後編も楽しみにしてました。
後編の生き続ける者の感想は……、後半の結末のたたみ方がとても雑で、一番最後のファンサービスに至っては、蛇足に感じられてしまって、すごく冷めた気持ちで劇場を後にしました。
うーん……なんだろな、この感覚……覚えがあるなぁ。
以下ネタバレを多く含みます。
前編は、踊る大捜査線というシリーズを知っているので、もっとアクション性高い作品かな? と思ったら、殺人事件は起こるものの、犯罪被害者の孤児たちと室井慎次の家族ドラマが中心となります。閉鎖的な集落なので、ご近所トラブルもあり、色々問題が山積み。大きなきっかけがあるわけでもなく、淡々と語られる中で、保護した孤児たちとの絆が結ばれていく描き方が良かったです。
生き続ける者は、さらに刑事ドラマパートは少なくなっていきます。真相も刑事の中の妄想だし。ヒューマンドラマパートの割合が多くなっていき、その描き方はより散発的なエピソードの積み重ねで、緻密なものに感じられます。
刑事ドラマパートが減っていくのは、華やかに見える部分よりも、その影の部分、犯罪加害者・被害者以外の苦悩だったり問題だったりを描きたいというものがあったように思われます。
後半は急にタイムリミットが来たかのように乱雑に話が展開していきます。
どこかでもともとTVドラマ用として練られた脚本だったと読んだ記憶があり、そうなのかもと納得できるような感じ。
村八分おじさんたち、ヤンキーの連中、改心早すぎ。
りくの父親も、一度は室井宅に現れるものの、中の賑やかさに自分の居場所がないように去っていきますし、後半のあの変貌からすると、なんだか別人のような印象です。
銃を構えたアンに対して、斧を持った父親からかばう室井、という構図があったように思いますが、かばったはずの室井の手になぜか斧があって、しかも狭心症の発作で倒れているだけで、別に庇ってもないという変なシーンに見えました。
父親も、なんか急にしおらしくなっているし……。なにがしたかったんだろう、あのシーンは……。
アンが銃を持ち出す→銃を父親が奪う→室井がかばって制圧するという流れだったら、自然だったのでは。
おそらく銃声によって、秋田犬のしんぺいが逃げたんだと思うのですが、ビジュアルとして示されていなかったので、忠犬ハチ公のモデルのくせに、なんて薄情な犬なんだ! しかも室井の最後の原因じゃん! と話を整理するまで、そう勘違いしてしまいました。
なんというか……、室井さん死んじゃって悲しいね、それでも君たちの心の中では生き続けるよ……そういうありがちなこと言いたいだけじゃん、すげー脚本家の作為を感じるラストでした。映画館ですすり泣きが聞こえる中、感情の整理ができず、どんどん心が冷めていっていくのを感じます。
エンドロールの後、青島が出てきて、すごく軽い感じで呼び出しの電話に出て、去っていきます。ここまで来たら、ちょっと線香あげるくらいやってもバチ当たらんだろ! 軽ッ! そんな軽い関係だったのあんたら!!
この映画は、俳優同士犬猿で面倒だから、室井慎次抜きで、踊る大捜査線が再始動します。という販促映画だったのか……。
自分の中ではそう解釈します。
孤児の中の長男の子が、室井慎次の遺志を継いだ新人として、踊る大捜査線の本シリーズに合流して、感動してねって展開が読めるぞ!!
ああ、そういうことか。
この既視感は、100日後に死ぬワニだ!
お葬式の時に、遺産相続の話(踊る大捜査線再始動)で盛り上がってるのが、単体作品として観てる自分には悲しいんだ……。