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映画ジョーカー字幕版の感想‐狂ってるのは彼か、それとも世間か

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DCコミックのバットマンのヴィランと言えば、この人、ジョーカーの誕生を描いた映画を見てきました。

ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞する一方、アメリカの映画館では「映画の内容に感化されてテロ行為などを起こさないように」との異例の告知がされました。

実は、バットマンシリーズを観たり読んだりしたことがほとんどなくて、ノーラン監督の三部作も食わず嫌いで観てませんでした。最近、マーベル映画なんて映画じゃないって言った巨匠がいましたけど……そんな感じで。

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予習じゃないけど、ジョーカーの来歴も調べてみました。原作では、もともと一回限りの登場で退場の悪役だったようです。人気が爆発したことで、バットマンの悪役としてレギュラー化したみたい。

原作コミックでは、薬品によって変貌してしまうパターンが多いのですが、一般人がどのようにしてジョーカーに変貌するのかが今回の見所です。

前評判どおりに面白いと言うよりは、「恐ろしい」映画でした。もしかすると、現実の世界にもジョーカー予備軍は腐るほどいて、僕自身そうなのかもしれない……。過去の凶悪事件や、最近だとラスベガスのホテルの銃乱射事件、日本の京アニの事件などを連想せずにはいられませんでした。

以下、ネタバレありです。

主人公のアーサー・フレックは、コメディアンを目指す道化師です。年老いた母を介護しつつも、自身も精神を病み、突然笑い出す発作に苦しんでいます。貧しい生活から抜け出すため、母はかつてメイドとして雇われていたウェイン家(後のバットマン=ブルースも登場!)に助けを求めるも、返信はきません。

アーサー・フレックは、もともと人畜無害な男ですが、人付き合いが苦手、長身痩躯の異様な風体、突如として大笑いをする異常体質と、得体のしれない感じで、人から誤解を受けずにはいられないような人間です。

 

映画は、彼の心の拠り所の一つ一つが無情にも欠けていくことを描いていきます。

仕事を失い、家族との絆を失い、夢を失い、慰めの妄想からも醒めてしまう……。

一方で、仕事仲間から手に入れた銃で殺してしまった相手が、金持ちのエリート会社員だったことで、貧困層の市民から英雄視されてしまいます。

誰からも愛されず、無視されつづけてきたアーサー・フレックが、世間から注目された瞬間です。

トイレの中で、ひとりダンスした彼の心中は……。あのシーン、なんか異様な雰囲気でしたね。現実逃避しているのか、それともコメディアンという夢からかけ離れた行為が、存外、自分に合ってると確信した瞬間だったのか……。

このエピソードで、連想してしまったのは、神戸の事件で、「透明な存在」を自称した人のことでした。当時のニュースでも、すごい才能で有名人になるよりも、犯罪行為で有名になることの方が簡単で、そういう短絡的な行動を起こす若者が増えた的なコメントを目にしました。後に、金儲けに目がくらんだ出版社が自伝を出したりなんかして、周りの人間が、犯罪者をアンチヒーローとして担ぎ上げるのも、シンクロしているような気がします。

 

前述のとおり、原作コミックでは、薬品を被ってジョーカーになるんですが、今作ではそういった外的要因なく、いろいろな不幸が重なって、アーサーはジョーカーになっていきます。誰もがジョーカーになりうるって思いました。

 

アーサーに共感する一方、大物司会者マレーを殺したのは納得いかなかったですね。当初、アーサーは自殺するつもりだったんだと思います。自分をアーサーとしてではなく、ジョーカーと呼んでくれといったのも、コメディアンとして出るつもりが無かったからだと思うんです。

それが、自分の芸をつまらないと言って笑ったな、と激高してマレーを射殺する。コメディアンとして、自分の芸が正当に批判されることを許せなかった彼は、プロなんでしょうか? 最初から彼には、芸人として立つ資格が無かったように思えます。そこが彼を、だただた不幸な可哀想なやつとは思えない部分です。

 

映画の中で衝撃的だったのが、バットマンとジョーカーが異母兄弟だったかも知れないという可能性が示唆されたこと。母親が妄想癖があり、アーサーは養子だったと記録が残っていて、否定されていますが、トーマス・ウェインとペニー・フレックとの間には何かしらあったっぽい。写真の君の笑顔がなんとか……とか。そもそも精神の病むような人間がウェイン家のような名家に雇われるのか。精神病棟に入れ、養子として権力に物を言わせて改竄したのはトーマス・ウェインなのではないか? さらにアーサー自身に虐待の記憶がないようですし。物心ついてなかった? 

ヒーローと敵に深い繋がりがある方が物語の構造としては強い。勘違いで母親も殺してしまったとしたら、より悲劇的です。

 

気になるのは、シングルマザーのソフィーを殺したか? です。僕の記憶が確かなら、アーサーが凶行に及ぶのは、ジョーカースタイルに変装したときのみです。これは、世間が熱望するジョーカーと一般人アーサーの状態が揺れ動いていることを意味していると思いました。さらに、ジョーカーという仮面を被った状態でしか犯罪を犯せない事が、匿名掲示板や酩酊状態、車の運転時などで性格を豹変させる人間を風刺しているようにも思いました。ただし、ラストシーンの収容先でのカウンセラーを攻撃したのか、殺害したのか曖昧ながら、足跡が血で濡れているシーン。あれはアーサー自身の素顔の状態。つまり、もうアーサーは後戻りができない状態である事が示唆されています。

 

社会風刺として考えさせられる映画でした。望むべくは、危険な映画だ、と映画そのものを批判するのではなく、現実の社会情勢が映画に反映されているのだ、と思うことです。

貧困がなく、誰もがハッピーで仮面ではなく自分の顔で笑える社会になるといいですね。もちろん、銃もない社会が良いよね。君のとなりの、人付き合い苦手そうな人にちょっとだけ優しくしよう。

 

ところで、アーサーが自宅で上半身はだかで、銃を構えるシーンは、やはりタクシードライバーのオマージュなんでしょうか。ロバート・デ・ニーロも出演していますし。

 

 

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